2014年12月30日火曜日

今日で仕事納めです

世の中の塾では年末年始特訓といったことをやっているところもあるかと思いますが、当塾では今日が今年最後の授業でした。今日も普通の1日が終わっただけなんですけど、何となく感慨深い気になってしまいます。

とってつけたように今年一年を振り返ってみたりして、短かったような長かったような整理のつかない気分です。結構頑張った気もしますが、どうしても足りなかったことばかり頭に浮かんでしまいます。
何はともあれ今年ももうあとわずかです。くよくよせず、ちょっと休んで来年もまた頑張りましょう。

本年もありがとうございました。それではまた来年。
(と言っても3日からは授業があるので生徒さんにはまたすぐ会うんですけどね)

2014年11月6日木曜日

「涙巻き」を頼んだときのこと

先日、講師の一人が某チェーン店の回転寿司に行って来ました。
その中に「涙巻き」という、メニューがあったので注文したときのことです。

「涙巻き」は皆さんご存知ですか?具がわさびの巻き寿司のことです。昔からある商品のようですが、回転寿司で見ることは

あまりないように思います。

珍しいので頼んでみたわけですが、届いた寿司を見て講師は戸惑ってしまいました。
というのも、そのお店ではお寿司にわさびが入っているかいないかで皿の色を分けているのですが、届いた巻き寿司は「わさ

び抜き」の皿にのっていたからです。

ちょっと考えて店員さんに尋ねます。
「これはわさび抜きの皿ですよね?」
それに対して
「はい、当店で巻き寿司にわさびは入れていません。」
とのハッキリした答えが返ってきました。

「でもこれ涙巻きですよね?」
「…、上に報告しておきます」
会話はにこやかに進んだということです。

この話を聞いて、私達は考えました。何故このようなことが起きたのか?

仮説①
ネタ振り。明らかに不思議な状況でツッコミ待ち。あわよくばネットで話題になってお店の宣伝になることを狙っている。
全国規模のお店でこんなミスが起こるはずがない、きっとわざとだろうということです。ですがそう考えるならば店員さんの対応はちょっと不自然です。

仮説②
お皿が示すわさびの有無はあくまでも薬味としてのわさびである。
つまり具のわさびは対象ではない。なので社内ルールとしては正しかった。
これですかね?

そう考えると全国規模で吟味して作られているであろうマニュアルは上手く機能していると言えるのかも知れません。ですが残念なパターンです。マニュアルを徹底するあまり思考が疎かになってしまったのかも知れません。

私としてはマニュアルはとても大切だと考えています。
ですがマニュアルがただの手順書だけで終わっていては勿体無いとも思います。行動に対する意味あわせて学べるマニュアルこそが真の力を発揮すると考えます。

何だか大げさな話になってしまいましたが、些細な揚げ足取りです。本気で批判しているとかではありませんので。
つまり何が言いたかったかというと「ちょっと面白いことがあった」というそれだけの話でした。

2014年9月10日水曜日

錦織圭に基礎練習

最近、話題の錦織選手ですが凄いですね。毎日のようにニュースで快挙と報じられている気がします。
元々凄い選手だったのでしょうが、今回の快進撃の裏にはコーチの力が大きく関係しているとの話もよく耳にします。

私はこの話がとても興味深いと感じました。
コーチは元トッププレーヤーでとても活躍された方だそうです。そんな人がコーチになれば何となく特別高度で特殊な指導がなされるのだと漠然と考えてしまいますが、実際はそうではなかったようです。いや、それこそが高度で特殊な指導と言えるのかも知れませんが、その言葉からイメージするものとは少し違うように感じます。
だって指導の主な内容は「基礎練習」だと言うのですから。

普通、トップ選手相手にそんな指導はしないそうです。ですがこのコーチはそれを徹底してやりました。
そしてその結果がいまなお続く快進撃だということですから興味深いではないですか。

私は生徒さんに勉強を教える際に基礎が最も大切だと考えています。ですから基礎練習はしっかりします。
ですがこれ、はっきり言って地味で辛い作業です。
数学で言えばまず計算です。
計算過程を細かく見て正しい流れや考え方で解けるようにまず矯正します。その後はしつこく計算練習をしてもらいます。
難点は時間が掛かり、すぐに成果を生みづらいことです。ですからやる気を失わせないことに一番苦労します。
しかしこれを乗り越えるとその後の応用は比較的楽になります。なぜなら応用問題の多くは基礎の集まりでしかないからです。計算と侮るなかれ、内容をきちんと理解できればそれだけで応用問題の意味が分かってきます。中途半端に応用問題の解き方を覚えても、それこそ応用の利かない小手先の技にしかなりません。基礎が大事なのです。

今回の錦織選手の例はそんな私の考えを証明してくれているように感じます。(勝手に感じているだけですけど…)

地味で辛い基礎練習を怠けないでください。
ちなみに錦織選手もこの基礎練習は辛かったようでブログには「基本をいっぱい直されて泣きそうだ」といったことを書いていたようです。これほど活躍している選手だからこそ、やはりその根底にはこういった地味で辛い練習があり、それを乗り越えていったという事実があるのだと思います。

どうか皆さんも一緒に基礎を頑張りましょう。そしてそれぞれの分野で錦織選手のように活躍できる日を目指していきましょう。

2014年9月4日木曜日

文化祭、体育祭の時期になりました

夏休みが終わるといよいよお祭の時期です。
一般的にお祭と言えば夏祭りかと思いますが、学生にとっては秋の学校祭でしょう。
お客さんとして参加するお祭と違い、自分達で作り上げるお祭は楽しいものです。

福井市の中学では9月のはじめに多くの学校がこれを済ませてしまいます。
私の頃は10月だったような気がするので、随分とせわしない気もしますが濃密に準備して臨むのも良いかと思います。

そしてそれが終われば3年生はいよいよ受験一直線です。
受験を乗り越えるためにも、このお祭は楽しんでほしいと思います。
「こんなの面倒臭い」とか言っていた人に限って大人になるとやっておけば良かったなどと後悔するものです。

ですがお願いです。怪我にだけは注意してください。
そして何があっても利き手だけは守るようにお願いします。

2014年8月28日木曜日

窓の掃除をしていて知ったこと(おまけ)

以前に窓掃除の話を書きましたが、ちょっと追記です。
直接窓掃除とは関係ないのですが、塾の仕事は基本的に部屋の中です。なので尋ねてきてくれる人としか会う機会はなかなかありません。

それが今回は外で作業をしていたわけです。
そうするとご近所のお婆さんが声をかけてくれるというはじめての事件を体験することになりました。
私にとってはまさに事件です。だってただ声をかけてくれたのではなく、塾に興味を持ってくれたからです。
少しでも認知度を上げたいと色々考えていましたが、莫大な費用をかけることも難しいので苦労していました。

ところがただ外に出ただけで人とのつながりが生まれたのです。
とてもありがたいことです。

お金をかけることが宣伝ではない、外に出ることこそ大事なのだと実感しました。
何か外に出て行く方法を考えねば。
ちなみの、声をかけてくれたお婆さんからその後の問合せはないんですけどね。
(良いんです。少しでも知ってくれる人が増えるだけで!)

2014年8月20日水曜日

またまた献血に行ってきました。

ブログのネタがないがために献血に行っている訳ではありませんが、折角なので三度このネタです。

先日受けたお隣さんの親切が嬉しかったことと、丁度前回の献血からの待機期間が明けていたことでまたもや「ちょっとぐらい人の役に立ってくるか」と思い行ってきました。

今回も行ったのは献血センターです。
2回目なので少し気分が楽です。でも入ってすぐにまたまたちょっと驚きました。
今の献血カードは昔の紙とは違い、データが書き込めるポイントカードのようなものです。暗証番号まで登録しておいてはじめにそれで認証を行うのですがそのシステムが少し変わっていたのです。
なんと静脈認証になっていました。
やっぱりみんな暗証番号を忘れてしまうからですかね?まあ私も前回のときはすっかり忘れていて心当たりを打ち込んだら通っただけなので偉そうなことは言えないのですけど。
それはともかく次回以降のために静脈の登録です。右手中指を機械に入れておしまいです。何ということのない作業ですが私としてははじめての静脈登録でそれがあまりに簡単なのでちょっと驚きました。そういうものだと知ってはいたのですが、今の技術力の高さを目の前で見た気がして感心したというところでしょうか。
ちなみに登録した右手中指を怪我している場合などはやっぱり暗証番号を使うそうなのでそちらも忘れてはいけないそうです。なんだかな。

献血自体は前回体験したことと同じなのでスムーズに進みました。
相変わらず注射針は目にするとちょっと怖くなりますが、今回も泣かずに済みました。
靴下も大丈夫です、ちゃんと穴の開いていないものを選んで行きました。ですがうっかりボロボロの靴を履いていってしまい、脱いだときにはそれが気になるという残念なことを今回もやってしまいました。反省。

最後は前回同様お土産を貰って帰ります。今回は食器洗剤とそうめんです。ありがたいことです。
そして「しっかり休んでから帰ってください」と言われるので飲み放題のジュースを飲みつつ水曜午後の特典であるアイスを頂きました。自販機で売っているあれです。美味しく有り難く頂いた訳ですが、ちょうどそのときに居たのが私を含めたおじさんたち数人。おじさんばかりが一様にアイスを食べている姿は我が事ながらちょっとシュールな光景でした。

今回で通算4回目の献血です。毎回400cc全血なので1.6L献上したことになります。ちょっとした量じゃないですか?一気に抜いたわけではありませんが、人間の体って凄いですね。

3ヶ月ほどで待機期間は明けますので今年中に合計2L達成してこようかな。

2014年8月14日木曜日

窓の掃除をしていて知ったこと

当塾では窓にテープで掲示物を張っています。
外側に張っているので劣化も激しく、先日の強い雨風で一部が剥がれてしまいました。仕方の無いことですが、そのままにしておくのはみっともないので一度きれいに全てを剥がすことに。
ですがこれが大変です。劣化してボロボロになったテープはもろく崩れやすいわりに糊の部分はなかなか取れません。一応この日のためにシール剥がしのスプレーを買ってきたのですがテープがビニールのために染み込まないからか役に立ちませんでした。
それでも剥がそうと四苦八苦しているとおそらく見かねたのであろうお隣さんが声をかけてきてくれて、道具を1つ貸してくれました。
貸してくれたのはガラススクレーパーという知らない道具でした。
お隣さんは車に日よけのフィルムを張っるなどの装飾(?)のお仕事をやられている方です。どうもその専用の道具を貸してくれたようです。見た目はヘラのような物ですがその先は鋭く、ヘラの刃の部分がカッターの刃のような道具でした。
普段は挨拶を交わす程度のお付き合いしかしていないのに、思いがけないご好意でとても嬉しかったです。

ですが喜ぶのはそれで終わりではありませんでした。
その道具、凄いんです。
今までの苦労が嘘のように窓がきれいになっていきます。本当に楽にきれいになっていくのです。
もう一人の講師と「やっぱりプロの道具は違うのか」と感心しきりでした。

何が違うって、まず発想が違いました。
私達はテープを「剥がす」と考えて作業をしていたのですが、プロの道具は「削る」でした。
窓にしつこく付いたテープをバリバリと削り取っていくのです。
面白いようにボロボロと削られたカスが落ちていきます。糊すらも削り落としていきます。
窓はあっという間にピカピカです。

今回学んだことは2つ。
人の優しさって本当に嬉しいという事。特にこちらから頼んだわけでもなく、相手から向けてもらった好意だったので本当に嬉しかったです。
「お隣さん、本当にありがとう」
自分達も困っている人には親切にしようと改めて思いました。
そしてもう一つ、固定観念を捨てて柔軟な思考が出来るようにならねばならないという事。削り落とすという発想は全く無かったです。本当に頭が固いですね。多分、色々な場面で決め付けてしまい不自由になっていることがあるのでしょう。意識して固定観念を壊さねば。

ちなみにお借りした道具は丁寧にお返しして、即効ネット検索してみました。はじめは名称をはっきり聞いていなかったので探すのに苦労しましたが通販サイトで発見して迷わず購入。これで当塾の窓はいつでも綺麗です。(次に使うのはかなり先だと思いますけど)

2014年8月7日木曜日

あくびは許します。

昔、学校で授業中にあくびをして怒られた経験のあるという人はどれくらいいるのでしょうか?
幸いに私はないのですが、怒られている人を見たことは何度かあります。
たしかに先生の気持ちになると、真剣に授業をしている中でやる気のない態度に見えて腹立たしく思うことも分からなくはありません。ですが出てしまうあくびを抑えるのはなかなか難しいのも事実ですし、頑張る気はあっても眠くて仕方がないことがあるのも致し方ないことかと思います。
難しい問題です。どちらの気持ちも分かります。

とても難しい問題ですが、当塾におきましては明確に決まっております。
ズバリ、あくびは許します!

まあ、許すとか大げさな話ではないのですが要するにあくびをしても講師が怒ることはありません。
理由としては「あくびはやる気が無いからするわけではない」と考えているからです。
なお講師の間でその根拠はそれぞれ違う上に、曖昧な記憶に基づくものですので偉そうに知ったかぶりは出来ないのですが一応述べておきたいと思います。

根拠1
あくびは体が酸素を必要としているときにする動作である。よって体に必要な動作であるからそこに咎められる事はない。

根拠2
あくびは眠気を我慢するための動作である。色々な理由で眠たいことがあるのは仕方の無いこと。しかしそんな状況でも眠気を我慢しようとしているわけだから咎められる事は何も無い。

以上です。

なので当塾では授業中に遠慮がちにあくびをしている生徒さんを見つけてはこんな話をしております。
つまらないことで気を煩わせず勉強できる環境を作ることも指導者には大事なはず。うまく作用していれば良いのですが。

ちなみに根拠はそれぞれどこかで聞いたことがある、という程度の記憶に基づいた根拠ですので違っていたらごめんなさい。

2014年7月31日木曜日

夏は入道雲が良い!!

夏は暑くて大変なのですが、基本的に好きです。
そして夏に好きなものの一つが「入道雲」です。
境界線が曖昧でボヤッと空に溶けているような雲と違い、入道雲はモコモコとした輪郭がはっきりと分かります。そのとてつもなく巨大な塊が空に浮かんでいる様は何とも雄大で何だか不思議でとても好きです。
まあ、最近はゲリラ豪雨の原因にもなるので好きだとか言っては怒られるのかもしれませんが、ご勘弁を。

しかし突然に何故こんな話をしたかというと先ほどとても綺麗な入道雲を見たという単純な理由からです。つい頑張って写真に撮ってみました。そこそこ上手く撮れた気がするので是非見てもらいたくなりました。
というわけで1年以上やっているブログで初の写真掲載です。
綺麗に見えると良いのですが。

ちなみに「雲」ですがあれは水蒸気ではないという事、知ってますか?
よく勘違いされている方がいるのですが、雲は水蒸気ではなく水(もしくは氷)です。そもそも水蒸気は今も回りに存在している目に見えないものです。目に見えるあの雲は小さな水の粒が集まったものですので誤解なきように。と少し理科の話を入れて塾のブログっぽくしてみました。どうですかね?


2014年7月26日土曜日

動物も同じなんですかね?

ネットのニュース記事を読んでいると面白いものがありました。
ゴリラがパネル上の数字を順番に押していく学習で「1~5」までの数字を順番に認識した、というものです。以前からチンパンジーの話はありましたが、ゴリラでははじめてだという事です。

どれぐらい凄いことなのか素人の私には難しいですが、これだけ話題になるということは多分凄いことなんでしょう。そしてそう考えると人間の凄さも改めて感じられます。とても興味深いニュースです。

ですが私が面白いと感じたのはそこではありません。その学習における状況です。
記事によるとゴリラも間違いが続くと勉強に対する意欲がなくなるそうです。
そしてそんな間違いが続いて自信喪失しているような時には易しい問題に戻したり、間違えてもご褒美をあげたりして励ましていたそうです。

何とも人間と似ているじゃないですか。

私も教える立場として生徒さんに対しての対応はいろいろと悩みます。ですが重要と考えているのは無闇に怒らない事です。生徒さんの話でときどき耳にするのが「間違えて怒られた」という話です。状況は様々ですので一概にそれが悪いとは言えませんが、間違えたから怒るということは意味がないと考えています。

新しいことを学ぶというのはとても大変なことです。大人になってしまうと忘れがちですが常に新しいことをやり続けている学生というのは毎日が本当に大変だと思います。そして挑戦するということは失敗をステップにして進むことだと考えます。失敗は反省すべきことであり怒られることではありません。
怒るべきことがあるとすればそれは「取り組み」です。不真面目であるとかサボるような本人に非があるときには怒ることも必要かもしれませんが、間違えることは非ではないと思っています。
間違いを重ねて成長します。しっかり間違うことは良い勉強になることもあります。間違えて直すことがとても大切なんです。

何だか話がそれてきたような気もするのでこの辺にしておきますが、ゴリラの話題から新しいことを学ぶというのは大変なことだと感じた次第です。

なお「動物と人間を一緒にするな!」と怒る方もいるかもしれませんが、大らかな気持ちで考えてください。だいたい優劣の話をしたいわけではありませんので。

2014年7月18日金曜日

夏休みが始まりますね。

いよいよ夏休みが始まります。
昔を思い出すとこの時期は楽しみでワクワクしていたものです。何が、というわけではないのですが夏休みほどまとまった長い休みはないわけで膨大な自由時間にワクワクしていたように思います。ですが実際にその時間はダラダラと浪費されてしまい、あまり有意義とは言えなかったのは残念な過去の話です。

大人になった現在、夏休みというこの時期に対して何を思うかというと実は今も楽しみなのです。会社員時代はお盆休みを楽しみにするだけでしたが、塾をやっている今は夏休み全体が楽しみです。
何故か?
夏期講習があるからです!

こういう書き方をすると商売っ気満点に見えてしまいますが、そうではないのです。(全くそうでないこともないけど…)
私は理科が大好きです。基本的に分野問わずに面白くて仕方がありません。だから理科を教えているときが実は一番楽しいのです。ですが通常の授業で理科を毎週受講してくれる方はほとんどいないのが実情です。
まあそうですよね、やるならまずは重要科目の数学か英語と考えるのが普通です。
ですが他の科目を放っておいて良いわけではありません。そうするとどうなるかというと、夏休みなどのまとまった休みにカバーすることになります。

というわけで夏期講習になると理科を教える機会が増えるのです。
理科好きの私としては理科の成績を上げるコツは好きになることだと考えます。好きになるとどうなるかというと身のまわりの現象に疑問を持つようになります。そうするとそれを解決してくれる理科が楽しい以外ありえなくなるのです。(ちょっと大雑把ですが持論です)
まあ、勉強としてやると楽しいだけではありませんが少しでも楽しさを伝えたいと思いながら授業します。特に大事なのが雑談ですね。いかに授業に関係ある雑談を持ってきて興味を引けるかは気合の入るところです。上手くいかないこともありますが…

そんな訳で忙しくなり大変でもあるのですが、私にとっても楽しい夏休みが始まります。
貴重な時間です、勉強に部活に遊びにとメリハリをつけて有意義に過ごせるよう私も頑張ります。

なお最後に念のため、理科以外の科目ではやる気が無いなんてことはありませんので誤解なきようお願いします。

2014年7月11日金曜日

中高一貫教育について思うこと

福井では来年度から高志中学がはじまり中高一貫教育の公立学校が出来ます。果たしてどのようなものになるのでしょうか。これについてはそろそろ具体的な情報が上がってきたので確認中ですが、この機会に中高一貫教育について思うことを少し。

以前、中高一貫教育の学校に通っている生徒さんを受け持っていたことがあります。学校の授業の進め方がどうなのかなど分からないこともあったので常に進捗を確認しながらやっていました。あくまで生徒さんから聞く情報が主ですので多少違って伝わっていることもあるかと思いますが、私は学校にあまり良い印象を持ちませんでした。

というのも折角の中高一貫教育がただの大学受験対策になっていると感じたからです。
私が聞く限りカリキュラムにたいした工夫もなく早く進めることを主眼においているようでした。高校受験を気にしなくて良いので早めに中学過程を終わらせて中学のうちに高校過程を始める。そしてそれも早く終わらせて丸々大学受験の対策に専念できる時間をつくる、そんな感じのようでした。

一つの考え方としてこれも正しいのかもしれませんが、私にはつまらなく見えてしまいます。

どうせ中高一貫にするのであればもっとカリキュラムに工夫がほしいです。
私が中学生に勉強を教えるときに困ることの一つが中学の枠に縛られてしまうことです。高校生だったらもっと良いやり方が出来るのに、などと思っても中学の枠の中で教えなければいけないことは多々あります。

例えば、数学です。入試などでよく出題される「規則性」というものは多くの生徒さんが苦労します。ですがこれって高校の「数列」を知っていると比較的簡単に解ける問題が多くあります。でも中学でそれは学ばないので便利な方法が使えないから苦労してしまうのです。

もっと切実に中学の枠に縛られることが苦しいのが理科です。正確な理屈を教えずに話が進むことはよくあります。また理屈が中学生用に作られていて本来の科学と異なるということも。

例えば「物質の状態変化」では「液体から固体に変わると体積は小さくなる」と教えるのですが困ったことに一番身近ともいえる物質の水がこの通りではありません。これは身近な水が実はちょっと特殊だという困った理由からそうなるのですが、その理屈が説明されるのは高校に入ってからです。中学生に説明するのは難しい内容であるともいえますが、感覚的に合わないことをただ覚えるのは面白くありません。というより科学の楽しさが全く損なわれています。

他にも「中和」というものがあります。非常に残念なのはこの定義が中学と高校で違うということです。たしかに中学生用に分かりやすくすることに意味はあるかもしれませんが、高校に入って「あれは違ってます。本当は…」と教えられるわけで私の場合はよけいに混乱してしまいました。

つまり何が言いたいのかというと中高一貫教育をするのであれば中学と高校の学習内容を根本的に融合させた新しいカリキュラムを作ってほしいということです。

私がよく知らないだけでそういう事をしてくれている学校もあるのかもしれません。そうであれば良いのですが、あたかも大学に入ることだけが目的かの様に受験勉強だけしていては貴重な十代が勿体無いです。本当のゴールはもっともっと先です。そしてゴールだけが大切でなくその過程にも意味があります。その時々で有意義な学習が出来ることを願います。

理想論ですかね?
でもテストのためだけでない、学ぶ楽しさを伝えたいというのが指導者としての私の根底にある大切な部分なので捨ててはいけないと思うわけです。(取り敢えず上手くできているかは置いておくとして…)

2014年7月4日金曜日

「東京オリンピックが楽しみだ」と聞いて何を思う?

先日テレビを見ていると「東京オリンピックが楽しみだ」という言葉を聞きました。
この言葉から皆さんはどんなことを思うでしょうか?
まず考えるのが6年後の東京オリンピックを楽しみにしているのだろうな、ということでしょう。今の時点で普通に考えればそうなりそうです。

ですが言葉の意味はそんなに単純でないこともあります。
例えばこの言葉が1960年に発せられたものだとするなら、楽しみとされる東京オリンピックは1つ前のものとなります。さしずめ過去の資料映像で語られた言葉を聞いたというところでしょうか。

では今現在の言葉だとしても発言者がアスリートだった場合はどうでしょう。その場合、楽しみと言うのは観戦に行くことではなく参加することの可能性が出てきて、多少意味合いが変わるように感じます。

また発言者が建設業の人だったらオリンピックにあわせて仕事が増えることを予測しての言葉かもしれません。

はたまた発言者が100歳のご老人だったらどうでしょうか。言葉の意味は変わらないかもしれませんが、とても重みが出てくるように思います。

実際に今回私が聞いたこの発言は102歳の医師がされたものだということでした。聞いた瞬間に単純なその一言が全く違う意味合いに感じられて驚きました。

最近はいろいろな方法でいろいろな人が情報を発信出来ます。ですがその情報は必ずしもフェアなものとは限りません。自分の伝えたいように事実を捻じ曲げてしまうこともあります。例えばそれは他人の発言内容を書き換えてしまうというほど乱暴なことをしなくても、前後を省略してしまうだけでも可能なのです。

数多くある情報の全てをしっかり検証してみることは非常に困難ですが、一部だけを見て全てを分かった気にはならないように気をつけたいものです。
以上、情報に踊らされやすい自分への教訓でした。

2014年6月26日木曜日

W杯も終わりましたね

そんなことを言うと怒られてしまいそうですが、サッカーに詳しくない私は日本以外のどこを応援すれば良いのか分からないので終わったような気分です。でもまあ、日本の試合もそれほどきちんと見てはいなかったのですけど。

しかし試合終了後の選手が落胆している姿を見ると何とも複雑な気持ちになります。
あれだけ落ち込むというのはそれだけ頑張ってきたということの表れなのでしょう。
頑張らないと結果は得られないけど、頑張っても得られるとは限らない。そして頑張った分だけ結果に届かなかったときの悔しさは大きくなります。
悔しい思いをしたくなければ頑張らないのが一番なのです。

何をやるのにも手を抜きましょう。それで上手くいかないのは当たり前だから悔しがる必要もありません。たまたま上手くいったら運が良かっただけです。そんなこともあるから気楽なもんです。落ち込み知らずの人生です。
でもきっとその人生は喜びもないんでしょうね。

頑張った分だけ悔しくて、頑張った分だけ嬉しい。難儀なものです。

私ももっと頑張らねば、と改めて思いました。

2014年6月19日木曜日

明日が運命のギリシャ戦?

あまり興味がない、とか言っておきながら今回もW杯の話題です。
1試合目は残念でした。事前の解説では先取点を取ったほうが勝つ確率が高い、というようなことを言っていたのですがそんなに単純ではないですね。
ちなみに私は見ていたというかテレビがついていたという感じでした。前の晩に少しお酒を飲んでいたらいつの間にかソファーで眠ってしまい、朝になって家族が起きてきてサッカーを見ている横でウトウトしてたよな状況です。サッカーファンには怒られてしまいそうですが、そんな感じだったので気が付いたら先制していて、気が付いたら逆転負けしていました。

サッカーには詳しくないので単純に勝つ試合が見たいです。
ということで明日でしょうか?
後がないですし、前評判では勝てるらしいので頑張って見てみようかとも思うのですが起きれるかな?
どうしても流れで仕事が夜遅くなってしまうい朝方眠りに就くことも珍しくないのでどうですかね。

ところで普通の会社員の方とかはどうするのでしょうか。ギリギリまで見て会社に行こうとすると結果だけ見れないなんて悲惨なことになりそうですが大丈夫なんですかね。

2014年6月14日土曜日

W杯がはじまりました

世間では何かと話題のW杯ですが、ついにはじまったようですね。
残念なことにサッカーに詳しくない私はそれ程気にしていないのですけどね。

サッカーではいつも思うのがサポーターのパワーの凄さです。
テレビで映し出される熱狂的なサポーター達の熱いことといったら本当に感心します。私自身にはあそこまで熱狂できるものがないので羨ましくも感じます。

W杯にかこつけてただ騒いでいる人も混じっているようには思いますが、せっかくのお祭ですから楽しんだ人が勝ちですよね。
今回の大会はどうも日本では早朝の放送になるようで、仕事が夜遅めの私にはなかなか見るのがきつそうですが少しぐらい皆とお祭気分を楽しみたいと思います。

でもサッカー素人としては良い試合だったとかあまりよく分からないので、勝ってくれると単純に楽しいんですけどね。はてさてどうなりますか。

2014年6月4日水曜日

ついについにデビューです

長らくガラケーを使っていた私ですが諸事情によりスマホデビューとなりました。
世の中的には「今更?」でしょうが、いいんです。

もともとスマホの必要性を感じていなかったのでガラケーのままでも良かったのですが、だんだん世の中の状況から乖離していっていることには多少の危惧もありました。近頃ではニュースなどでもLINEなるアプリの話題が普通に取り上げられたりしますが、使ったことがないので何のことか分かりません。これはちょっとまずいかな、と。

そんなところにきて携帯電話会社のポイントの一部がまもなく失効するとか、母親の携帯がだいぶ痛んできてそろそろ壊れそうだとか、2台同時なら更にお得だとか、期間限定のサービスがあるとか色々なことがあり私も携帯の機種変更を決意するに至ったわけです。そこで再度ガラケーを選ぶことも出来たのですが、そこに特別こだわっているわけでもないので良い機会だと思いスマホデビューです。

やはり多少は新しいものにも触れておかないと新しい発想は出来ないよな、と自分を納得させての一大決心でした。

そして現在、持て余しております。
色々と分からないことだらけです。まず初期設定に大変苦しめられました。石器を当たり前に使っていた人間に最新の電動工具を渡されたようで、どうして良いか分からないことだらけです。
世の中の多くの人はこれを使いこなしているのでしょうか?凄いですね。

でもまあ、分からないことだらけですが楽しいです。
機械に使われないよう注意しながら、使いこなせる日を夢見ていきたいと思います。

2014年5月29日木曜日

「先生って悩みなさそうだね」と言われた日のこと

誰でも気分の良い日と悪い日があるかと思います。
気分の良い日は当然のごとく良いのですが、悪い日が問題です。出掛けに家族とケンカしたとか二日酔いで頭が痛いとか理由は様々でしょうが、全く無関係の人に影響を与えてしまってはよくありません。

職場の上司の機嫌が悪い日は何とも憂鬱です。無愛想なだけでもこっちは気を使うのに、よく分からないことで怒られた日にはやり切れません。そして問題なのが機嫌の悪い本人は自分の事に気付いていないことがある、ということです。無意識に悪意を撒き散らすというのは性質が悪いです。

私の仕事は相手が子供さん達なので特に気を使います。
子供にとって大人の機嫌が悪いというのは大人どうしよりも辛いことだと思います。ですから特別意識していなければいけないと考えます。

ただ問題は本当にそれが出来ているのか?ということでしょう。やはり自分自身では分からない部分があります。常に気を使っているつもりですが、自信が持てないのも事実です。

ですが以前、生徒さんから言われたことがあります。
「先生って悩みなさそうだね」
この言葉を聴いた瞬間に「勝った!」と思いました。「勝った」というのは変な表現ですが、自分の気分に勝ったというような心境でしょうか。
なぜかというと、この言葉をかけられた時期は私にとって非常に辛い時期の1つだったからです。
その時期とは、今はもう亡くなった父が闘病生活をしていた時期です。

もともと県外で会社員をしていた私は父の病気を期に帰郷しました。自営業だった我が家を助け、父の闘病を助けることが大きな目的でした。(実際に出来ていたかどうかは別です)1人経営の自営業ではゆっくり治療など金銭的に困難です。ただでさえ治療にお金がかかるのに仕事が出来なければとてもまかなえません。
この頃は毎日、悪化する病状と苦しい懐事情、先の見えない不安感との戦いでした。はっきりいって気の休まる時なんてありませんでした。
ですがそういうことを外で出してはいけません。特に子供さん相手の仕事です。仕事に入る瞬間に気持ちのチャンネルを切り替えて家の事情は忘れるよう努めていました。自分では出来ているつもりでした。仕事が終わった瞬間に襲ってくる現実に戻される憂鬱な感覚は切り替えられていたからこその感覚だとも考えていました。。ですが客観的な意味では分かりません。出来ているつもりでも不安はありました。
そんな時にかけられたのが先ほどの言葉「先生って悩みなさそうだね」です。
最高の褒め言葉だと感じました。
全ての子がそう思ってくれているとは限りませんが、少なくともこの生徒さんには心の内をきちんと隠せていたようです。

気分に左右されず他人と接する、完璧に出来ているとは思っていませんが中級者ぐらいにはなれたのかも知れません。それはともかくとしても意識することは大切です。

気持ちよく過ごせる環境をつくることも私達の大切な仕事です。これからも頑張っていきます。

2014年5月21日水曜日

久々に献血に行ってきました。

「自分というのはあまり世の中の役に立っていないな」などとネガティブなことが頭をよぎってしまったので献血に行ってきました。およそ1年振りです。

前回はたまたま献血車を見かけたので立ち寄ったわけですが、今回は積極的に献血センターまで行くことにしました。ですがよくよく思い出してみると献血センターは塾の近くだったのでそれほど大変なことではありませんでした。出勤時にちょっと寄り道ぐらいのものです。

というわけで少し早めに家を出て献血センターへ!

はじめての場所に行くというのはやはりちょっと緊張します。
「駐車場はここで良いのか?」「入り口はこっちか?」などと思いながら恐る恐る入ると予想よりも綺麗な施設に驚きました。建物の外見ははっきり言って古かったのですが、内装は途中で手を加えたのか清潔感のある新しめな感じです。「やっぱり綺麗じゃないと人は来ないよな」と勝手に納得です。そして平日にも関わらず10人ほどの人がいた事にも驚きました。男女や年齢も様々です。意外といっては何ですが、意外でした。

待合室には飲み放題のドリンクバーと雑誌やら漫画がいくらか置いてありました。小分けのお菓子もいっぱい置いてあり自由に食べれます。そしてテレビではドラえもんが放送中。至れり尽くせりです。そして漫画のラインナップが若干マニアックだったのが気に入ったのですが、意外と手続きが早く進みゆっくり読んでいる暇はなかったです。

まずはじめに献血カードを提出してアンケートに解答。カードには暗証番号が設定してあるとの事でしたがすっかり忘れていたのでいつものを試しに入力したら通りました。どこでも一応セキュリティーには気を使っているのですね。ちなみにこの日は全血で400ccとしました。

しばらく待つと問診です。問題なく通過。

そして検査用の軽い採血をします。
何回やっても注射は嫌いです。針を見ているとどうしても怖くなってしまうので「やっぱり怖いですね」なんて話しかけて気を紛らわします。
「刺すときは針を見ていますか?」と聞かれて、私はいつ刺さるか分からないほうが怖いので見ると答えたのですが、採血してくれた看護師さん(?)は逆に怖くて見れないそうです。
「他人には刺すんだけどね、自分のはね」と笑っていました。

それが終わるといよいよ本番の採血です。その前にしっかり水分を採ってくるよう言われたのでドリンクバーに寄り道。覚悟を決めていざ採血!

ゆったり座れる椅子にスタンバイすると一人に1台テレビがついていました。ご丁寧なことにスピーカーはスタンバイした椅子の頭のところにあり良い音で視聴できます。リモコンも持ってきてくれて準備は完了です。

本採血用の注射針は太めです。はっきりいって非常に怖いです。そしてまた準備に若干の時間が掛かるのも怖さを増してくれます。ここでも気を紛らわすために「待っている間が一番怖いですね」などと話していました。すると腕に消毒液(茶色っぽいヤツ)を塗りながら「御免ね、これが乾くまでまた待ってもらうんだわ」と残念なお知らせが。
採血自体は5分~10分ほどであっさり済みました。

そして2回も注射されましたが泣くことはありませんでした。良かったです。

採血が終わると水分をしっかりとってしばらく休んでから帰るよう言われたので、再びドリンクバーへ向かいしばしゆったりしました。そうしていると受付の人がやってきて書類と共にお土産をくれました。液体洗剤、ドリップコーヒー、そして待合室設置の自販機でアイスが貰えるメダルと結構豪華です。
案内によると血液はあまり長く保存して置けないので2~3日中には使ってしまうとの事。安定して献血には来てもらわないといけないことになりますから、色々とサービスしてくれるのですね。そしてそれぐらいしても血が必要ということでしょうか。改めてまた来ようと思いました。

ところで私の血液はもう誰かの体の中に入っているのでしょうか。献血した日から考えるとそのはずです。私の知らないところで知らない人の役に立つというのは不思議な気もします。どうか誰かの体で役に立っていますように、決して蝕んだりしませんようにと願うばかりです。

はじめてのところに行くのは少し億劫ですが、分かってしまえば気楽なものです。次に来れるのは8月と書いてあるので、暑い盛りの時期に休憩がてらまた行こうと思います。
社会の役に立ったと自己満足できるのは案外悪いことではない気がします。

2014年5月14日水曜日

宝くじですか、そうですか。

今日から宝くじの販売がはじまったようです。私は買ったことがないのでテレビで見るまで知りもしませんでしたが、過去最高額なのだそうですね。前後賞あわせて5億5千万円だそうで、つい夢を見てしまいそうになります。

ですがどうしても私は宝くじを買う気になれません。別に買っている人を批判する気はないのですが、どうしても当たるとは思えないからです。

まず宝くじは買った時点で半分ほどが運営資金等のいわゆるテラ銭として取られます。いきなり半分ですから多すぎるように思えて仕方がありません。
そして1等の当選確率がだいたい1000万分の1ぐらいで、これはある統計によると歩いていて雷の直撃を受けるよりも低い確率だそうです。
以前ある人が言っていました。「宝くじは当たると思うのに、車には轢かれないと思うのは何故だろう?その確率の方がはるかに高いのに」だそうです。この言い方もどうかとは思いますが、理解も出来ます。

あといつも気になるのが「よく当たる売り場」というやつです。本当にそんなものがあるとしたらそれは不正があるとしか言えないはずです。結局のところいっぱい売れている売り場からは当たりが多く出るというだけの話ではないでしょうか?分母を見ずに分子だけ見てしまうと当たりが多いように勘違いしますが、確率は同じはずです。というよりそうでなければ仕組みの不備ですから。

他にも言いたいことはありますが、要するに愚痴です。
誰かには絶対に当たるわけですし買わなければ絶対に当たらないのだから、そんなに気になるなら買えば良いのに、という話でした。

2014年5月9日金曜日

小心者の後悔(思考力と時間経過における相関の考察?)

先日のことです某レンタルショップにてDVDを借りました。するとクーポンが出てきました。そこには「全品半額」とあり、注意書きには1会計で本券1枚使用できますとあったので何でも1本だけ半額になると理解しました。
でもひょっとすると1会計全部が半額になるのかな?などとも思ったのですが、そこまでサービスしてくれないだろうと勝手に思い込んでしまったのが失敗の始まりです。気になったのなら聞いてみればいいのに面倒くさがったからいけません。

後日、そのクーポンを使うべくDVDを借りに行きました。半額になるということで普段は借りない新作を1本と旧作を数本手に取りレジに向かいました。
クーポンを出して新作を指して「これにお願いします」と告げると「会計全体が半額ですので」との返事が。

瞬間的に色々なことを考えました。会計全体が半額になるならもっと借りたいものはあったのです。
会計を待ってもらい追加を持ってくるか?一旦クーポンは引っ込めるべきか?
ですが小心者の私はそういう咄嗟の場合に弱いのです。結局、何もせずそのままお会計をしてしまいました。

ここからが大変です。時間が経てば経つほど半額クーポンを使ったもっとお得な借り方が浮かんでくるではありませんか。得をしたはずなのに何故か損した気分のモヤモヤがしばし晴れませんでした。

咄嗟の場面で思考を瞬時に廻らせられなかった場合、その余波は後から来るようです。
立ち上がりの悪いパソコンのようで、起動させたは良いがすぐには使えず必要な時期が去ったあとで本格的に動き出します。電源オフにも時間が掛かってしまい、その間にあれこれ考えて悔しく思う。

瞬時に立ち上がり瞬時に切れるパソコンがほしいです。

2014年5月2日金曜日

自前ヴァーチャルノートを持っていた先生

科学技術の発展は凄いもので、ちょっと前まではSFだったようなものが現実の製品として次々世の中に出ています。面白そうなものは色々とありますが、その中でAR(拡張現実)の技術にはワクワクするものを感じて仕方がありません。
現実の風景映像に道案内のCGを表示して目的地まで案内してくれるナビソフトなどというものはすでにスマホのアプリとしてあるようですが、これが誰でも使える製品にまでなっていることにはとても驚きです。

と、そんな話も楽しいのですが今回の内容はちょっと違います。
今回話したかったのはそんな技術が全然無い数十年前にすでにヴァーチャルノートなるものを持っていた人の話です。

その人は私が生徒として通っていた塾の先生です。
随分と昔の話になりますがこの先生は凄い人でした。自習形式の塾を運営していたのですが、小学生から高校生までの全科目に1人で対応するという超人振りです。自習形式ですので先生は質問に答えることが主な仕事だったわけですが、いつどんな科目を質問しても基本的に調べたり悩んだりすることはなくその場で答えてくれる様な先生でした。

現在講師をやっている身としてはとても考えられない凄さだとしか言えません。こちらで用意した課題でなく、自由に持ってきた課題を自由に質問してくるわけですから予測は不可能です。加えて大学入試レベルの問題にでもなると初見で即答が困難なことは想像していただけるかと思います。
ですが、その先生はそれでも平気でした。いつでもどんな時でも当たり前のように解いて教えてくれます。

指導のスタイルも凄いです。
例えば数学の問題だとします。まず分からない問題があると生徒は先生を呼びます。すると先生は問題をしばらく眺めます。そしていきなり生徒のノートに万年筆で解法を書きながら説明をしてくれます。
説明の前に準備らしい準備など全くせず、まるで解法を写しているかのように迷いなく一発で書き切ってしまうのです。入試レベルの数学ともなると複雑な計算がノートの1ページを超えてしまうぐらいのことは普通にありますが、その全てがほとんど迷いなく一発で書き切られます。
とても真似できません。

ある日、その完璧なまでの指導が不思議だった私は先生に質問をしました。
「なぜそんなにスラスラと解けるのですか?」
すると先生はその秘密を教えてくれました。
「ヴァーチャルノートがあってそこに一度解いてみてから、それをノートに書き写しているんだよ」
つまり先生には自分にしか見えないヴァーチャルノートがあり、そこに一旦解法を書くのだそうです。そして答えまでたどり着いて内容が正しいことを確認した上で実際のノートに書き写すのだと。書き写すだけだから実際のノートに書くときはスラスラ書けるということです。先生によるとノート見開き分ぐらいはそのヴァーチャルノートに書けるそうです。

驚きました。私はどんなに頑張ってもせいぜい2~3行が良いところですから信じられない気分でした。ですが信じようと信じまいと現実にスラスラとノートを書く様を見ているので信じるしかないという気分です。

あらゆる学年のあらゆる科目に即時対応できるだけでも凄いのに、そんな隠し玉があったとは!
何の勝負をしたわけでもないのですが、勝てないと思いました。

ちなみに先生によると全盛期はヴァーチャルノートのページをめくれたそうです。だから手ぶらで外出してもそこでパラパラとページをめくり勉強が出来たのだと。

機械の力で色々なことが出来るのはとても便利で楽しいことですが、人間の能力も捨てたものではないようです。とてもこれが真似できるとは思いませんが、ただ機械に頼ってしまわず、自分磨きをすれば多少は良くなるかもしれません。

まだまだ未熟な私ですが、これからももっと頑張ります。

2014年4月25日金曜日

真面目な人が損をする世の中ではダメなんです

最近のニュースは韓国船の転覆事故で持ちきりです。
テレビを見ていると何ともやるせない情報が次々に入ってきて、とても辛い気持ちになります。私も色々と言っていやりたいことがありますが、今回それは止めておきます。

その話は止めて何をいうかというと、事故の影響で起きた悲しい話です。
事故から救出された教頭先生が自殺したそうです。ご存知の方も多くいると思いますが、日々明らかになる事故の悲惨な状況の影に隠れてしまい報道の扱いは少なめだったと記憶しています。

事故から救出された教頭先生は多くの生徒が行方不明の中で自分だけ助かってしまったことに悩んでいたそうです。そしてその罪悪感から自殺してしまったと。
専門家ではないので詳しくは知りませんが、「サバイバーズ・ギルト」という言葉があるそうです。日本語にするなら生存者の罪悪感といったところでしょうか。
大きな災害や戦争などで多くの仲間が死んで自分だけ生き残った場合などになるそうです。

何とも悲しい話です。おそらく真面目な人しかならないのでしょうから。

責任も何も考えず自分のことだけ考えて生き残る人がいて、責任を果たそうとして死ぬ人がいる。助かっても己の無力さを悔いて亡くなる人がいる。

真面目な人間が馬鹿をみない世の中にしていきたいです。

2014年4月19日土曜日

久しぶりに名言を聞きました

名言とされるものは数多くあり、私自身も色々な言葉に勇気付けられてきました。でも全ての名言が自分にとってピッタリくるというわけでもないですし、同じ名言でもその時の心境によって受け取り方も変わってくるように思います。

先日NHKのプロフェッショナルという番組で探査衛星「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャーの話がやっていました。
感動のうちに幕を閉じた「はやぶさ」でイオンエンジンを開発していた人だそうです。世界的に見ても前例のない開発であり、困難を極めました。やってもやっても成果が出ず、無駄なことをやっているのではないかという恐怖に苛まれる日々だったそうです。ですがその恐怖を乗り越えて最終的に見せてくれたのは最高の結果でした。そして今、また新たな挑戦をしているという話です。

その話自体がとても面白かったのですが、私はそのキャッチコピーに強く惹かれました。

「ゆっくりでも、止まらなければ、けっこう進む」

まさに名言です。


言っていることは「継続は力なり」と同じだと思うのですが、私の心にはこちらの言葉の方がピッタリきました。
最後の「けっこう進む」が良いです。
コツコツ積み重ねることで少しずつ進んでいて、1つひとつは小さいけれど気が付けば結構進んでいたという感覚がとてもよく伝わります。

何か新しいことに挑戦するときに不安はつきものです。成果が出ない不安は根本的な部分で間違いがあったのではないかという不安をよびます。自分が道なかばで頑張っていると思えれば続けることも出来るのですが、無駄なことをやっているかも知れないと思うともうダメです。
そんなときにこの言葉は良かったです。
1日で出来ることは少ないけれど、振り返ってみると積み重なった1日がいっぱいあります。まさに言うとおり結構進んでいるのかも知れません。

なかなか目に見えて劇的な成果を出すということは出来ません。でもそのときに小さすぎる成果の1つだけを見て不安になるのではなく、小さな成果の積み重なったちょっと大きな部分を見て自信を持てたら良いですね。そして、その先にはもっと積み重ねた小さな1つひとつが大きな成果になると信じたいです。

2014年4月11日金曜日

STAP細胞に思うこと

世間を騒がせているSTAP細胞問題ですが、皆さんはどんなことを思うのでしょうか?
最初は絶賛していたマスコミも最近では批判的な内容が増えてきたように思います。確かに時間が経つにつれて論文の不備が見つかっていく状況では懐疑的な気持ちになってしまうのも仕方の無いことでしょう。
やっと行われた本人の会見も科学的に証拠を示すというような内容ではなかったことは少し残念な気もしました。

ですがここはあえて応援したいと考えます。
だってノーベル賞級の大発見だと大騒ぎするぐらい凄いことなんでしょ?あってほしいじゃないですか。

指摘されている問題は論文です。科学者にとってこれがとても重要なことなのは分かるつもりです。偉い先生によれば「これだけ論文に不備があれば、無かったと考えるのが科学的です」とも言っていました。
仰ることは分かります。でももし事実なら世紀の大発見なんでしょ?だったらその話は一旦置いていおきませんか。

本人は自信をもって存在すると言っています。ならば論文を書くのが下手だったぐらいに思っておいてはダメですかね。絵は下手だけれどもお話は面白い漫画家さんみたいなものです。
特許や発見者の称号など捨て置けない問題はあるのでしょうけど、私が知りたいのは本当にあるのかどうかです。

本来は論文がダメなら切って捨てればいいだけの話です。だって科学者に出来る存在証明はそれしかないわけですから。でも今回はそう出来ずに大騒ぎになっています。これはどこかで事実であってほしいと思っているからではないでしょうか。
であるならば論文の不備を見つけて批判するのはここまでにして、皆が納得できる形で証明する方法を考えましょう。切り捨ててしまえないほど魅力的な内容なんですからダメなところを見つけて否定することに使っている力を、諸問題を解決して証明する方法を考える力に変えたほうが有意義じゃないですかね。
私はSTAP細胞がつくる未来が見てみたいです。

2014年4月3日木曜日

このブログ、1年続いてますよ。ビックリです。

新年度がスタートして各所で初々しい学生さんを見かけるようになってきました。
生活の変化としては新年を迎えるよりも新年度のほうがはるかに大きいように思います。そして節目というのは気持ちを新たにして頑張ろうという気になってくるものです。
思えばこのブログも昨年の4月にやる気を出してしまってから1年経ちます。誰も読んでいないと知りながらよく続いていると自分に感心しているところです。

昨年の今頃に書いた記事の中に「四月病」というのがあります。誤字ではありませんよ、「五月病」の前段階として「四月病」というものがあるらしいという話です。興味がある奇特な人がいれば是非遡って記事を読んでほしいところですが、簡単に言うと4月に張り切りすぎてしまって続かないという話でした。

普段飽きっぽい私がこのブログを続けられたのは頑張り過ぎなかったからだと思います。
飽きっぽいと言いましたが、すぐに興味を失うという訳ではありません。どちらかというといつも張り切りすぎて労力を掛け過ぎてしまい続かなくなることが多いです。
そもそもで言えば何かを始めるときにも準備に気合を入れすぎて準備段階で力尽きてしまう、何てことがよくあります。

そんないつもがあるので今回は意識して頑張りすぎないこととしました。
不完全でも構わないのでまずはじめる。何でも良いから取り合えず続ける。
その結果がこのブログです。更新ペースはゆっくりですし、内容も塾のブログとは思えないゆるさですが、続いています。続けることが目的でしたので完成度は別にして成功したと言えると考えています。
小さいことですが1年経ったという事実に多少の達成感を感じているところです。

そんな訳で「頑張り過ぎない」は大事なキーワードだと考えます。「頑張らない」ではありませんよ「過ぎない」ですから。目指すべきは自分に今できることのちょっと上ということでしょうか。
というわけでこのブログは今後も頑張り過ぎずに続けていきます。たとえ誰も読んでいなくても!

2014年3月28日金曜日

まもなく増税ですけど

あと少しで消費税が5%から8%に上がります。ニュースなどを見ていると増税前の買い溜めが話題となっていますが皆さんは如何でしょうか?私はというとほとんど何もしていません。コピー用紙ぐらい買っておこうかとも思うのですが、日々の忙しさに後回しになっているのが現状です。ダメですね。

国のことを考えると仕方のないことなんでしょうが、個人のことを考えると同じものが値上がりするようでやはり嫌です。どうせ買うものなら今のうちにというのも気持ちとしてよく分かります。ですが、実際どれぐらいやれば得したと言えるのでしょうか?

今回の増税分は3%です。取られる立場では大きいですが、貰う立場だと少ないと感じます。だってセールなどだと20%や30%安くなるなんてこともよくあり、10%引きぐらいではあまりインパクトを感じません。そう考えると今回の増税は大したことないようにも思えます。

買い溜め報道を見ていると日用品が一つのターゲットと感じます。もちろん車などの大きな買い物もあるのでしょうが、トイレットペーパーや洗剤など比較的安価なものの買い溜め報道をよく見ます。
トイレットペーパーだと200円~300円ぐらいで売られているのを目にすることがあるので、1セット定価200円として考えると50セット(税込10500円分)買い溜めしてやっと300円ぐらい得する計算になります。50セットも買っておよそ1セット半の得ということですね。
これはなかなかに大変です。それだけ大量に買うのであれば、そのために買い物に行くことになるでしょう。ついでの買い物と違い交通費や労力、時間が全てそこにかかってきます。本当に得するためにはかなり頑張らないとダメだということですね。

普段から1円単位まで切り詰めている奥様方には頭が下がります。でも無理しないでください。うっかり使い切れないことにでもなれば一気に損になってしまいますから。
「3%」大きいのか?小さいのか?

2014年3月20日木曜日

新しい花粉症対策の提案?

「今年は大丈夫かも?」と毎年思うのですが、やはり毎年やってきてしまいます。
例年ですと早ければ2月の下旬ぐらいから目のかゆみと鼻のムズムズに襲われるのですが、今年は今週までほとんど大丈夫だったのでこのままやり過ごせるかと淡い期待をしていたのですがやはり駄目だったようです。

この文章を書いている今も花粉症の症状と戦っています。まあどちらかと言うと戦っているというよりは攻撃に耐えていると言うほうが正しいかもしれません。辛いです。

今すぐにでも目玉を取り出して丸洗いして、鼻の中もジャブジャブと徹底洗浄したい気分です。無理なんですけどね。

多くの花粉症患者さんはどのように耐えているのでしょうか?
私はあまりにも酷くなると諦めて薬を飲むのですが、出来れば避けたいと思っています。薬に頼るのが悪いとは思いませんが、まあお金もかかりますし出来れば自然な方法がいいかなと。

そこで一つ考えました。泣けば良いのです。
去年だったか一昨年だったかのことですが、大好きな漫画を読んでいたときのことです。とても感動する話で私は一人で目を潤ませながら読んでいました。そして読み終わって気付いたのです「そういえば目がかゆくなかった」と。花粉症真っ只中の時期でこすりすぎた目の周りが真っ赤だった私ですが、そのときは全く気になりませんでした。
そう、常に目を潤ませて花粉を洗い流していれば症状は抑えられるのです。

さあ皆さん泣ける話を読みましょう!
なんていうのはどうですかね?
(なお、いっぱい泣くと鼻水も出るので、鼻のムズムズも緩和されます)

2014年3月14日金曜日

高校受験が終わりまして

福井の高校では一応受験が終わりました。塾としても一番気を張る時期が一段落して少しホッとしております。
お子さん達にとって高校受験というのはおそらく人生で一番最初の大きな試練だと考えます。
小、中学校と違い放っておいてもどこかに入れるというわけではありません。自分で選んで、試験に合格してやっと行けるのです。

もちろん試験自体が大変なのは言うまでもないことですので、あえて私はこの自分で選ぶということが大きな試練だと言いたいです。
高校となると将来の方向性にかなり大きく関わります。その選択をするのですから大変なことです。

受験に際しては当然合格することが大切ですので、偏差値や点数にばかり目がいってしまいます。仕方の無いことです。安全圏に入るために志望をさげることもよくあることです。何も悪いことではありませんが、複雑な思いを残すお子さんもいます。

是非忘れないで欲しいのが、どの道を選んだとしてもそれが最終的には自分で決めたことだということです。大変な選択を自分でしたのです、自信を持ってください。
受験が思い通りになった人もそうでない人も新しい生活が思い通りとは限りません。どんなときでも自分で選択してきたことに自信を持って、次の選択につなげていってほしいと考えます。

受験が一段落するとどうしてもこれまでの生徒さんの様々なその後を思い出してしまいます。
受験は通過点であり終着点ではありません。どうかみんなが元気に前向きに進めますように。

2014年3月6日木曜日

1対1授業に決めた理由(分からないところを見付ける事)

勉強すると言うのは大きく分けて
①新しいことを学ぶ
②分からないことを分かるようにする
の2つだと思います。

私達の塾が1対1授業に決めたのは特に②をしっかりやりたいと考えているからです。
もちろん①についても反応を見ながら説明が出来るので1対1授業であることに大きな意味を感じていますが、それよりも②の方が難しいからです。

当然ですが分からないところというのは人それぞれ違います。ですからそれを考えずに間違っているから正しいやり方を教えて終わり、というだけではなかなか身に付きません。
根本的に何が分からないのか原因追求をしてそれを解決するというのがとても大事になってきます。しかしこれがとても難しく大変な仕事になります。
分からない問題を抱えているお子さんのほとんどは何が原因で困っているのか自分でも分かっていません。だから探してあげないといけません。

以前に小学生のお子さんを教えていたときに気付いたことです。
算数の工夫する計算という分野でした。
4×13×25=
のような計算問題があります。
左から順番に計算していっても当然解けますが、ここで大切なのは掛け算は順番を換えても大丈夫というルールを使って
13×4×25=13×100
と先にしてしまうことです。そうすれば最後に残るのは
13×100=1300
というとても簡単な計算だけになります。
おそらく出題の通りに左からやると途中で筆算をする必要が出てきますが、順番を換えるだけで簡単に暗算できてしまいます。

小学生ですと「4×25=100」がすぐに思いつかないことはよくあるので、まずそこを指導します。そして「×10とか×100を先に作ると計算が簡単になるよ」とそれを探すように指導していきます。
通常ですと「=100」となる計算を見つける練習をしていけば出来るようになっていくのですが、それでもよく間違えてしまう子もいます。

このときに原因追求の大切さを改めて実感しました。

実はこの問題をミスしてしまったお子さんの根本原因は「=100」となる部分を見付けられないのではなく、「×100」の計算がちっとも簡単でなかったということなのです。
はじめは気付かなかったのですが、計算ミスした問題をもう一度やってもらうと端の方に筆算をはじめました。取り敢えず何も言わずに見ているとそれは「×100」の筆算だったのです。
やっと気付きました。
つまりその子にとっては「52×25」も「13×100」も同じくらい手間なものでしかなかったのです。
本質的に工夫する意味がなかったわけで、計算が楽にならないのですからミスしやすくなって当然です。

ノートの確認はするのですがそこでは気付きませんでした。なぜなら筆算を消してしまうお子さんはしばしば居るからです。

基本中の基本だとこちらが思っていることにこそ落とし穴はよくあります。
基本的な内容の抜け落ちはなかなか本人にも気付きづらく、時には恥ずかしくて言えない事があります。
そのため1対1授業でしっかり見ることが大切なのです。
どんなところで躓いていても気にする必要はありません。むしろそれが発見できないことのほうが問題です。
会話の中で思わぬことを言ってきたり、図の中に思いもかけない線を書き足したりするような些細なことを見つけたときがチャンスです。

もちろんいつでも的確に見つけて指導できているわけではありませんが、大勢の中では埋もれてしまうものを多く見つけられているとも思っています。

だから私達は1対1授業に決めたのです。

2014年2月28日金曜日

π(円周率)の計算をちょっと考えてみた

ふと思い立ってやってみました。
いつも生徒さんにπを使う計算は教えていますが、実のところπについてはよく分かっていません。

例えば、
無限に続く数字だといっているけど、それはどうやって証明されているのか?
10進法以外で表してスッキリ出ることはないのか?
検算方法ってあるの?
そもそもどうやって計算しているのか?
などなどです。

何となく分かるけどはっきりとは知らないことが多いです。
そんなことを考えるとちょっと気になったので一番簡単そうなπの計算をしてみることにしました。

π=円周÷直径 なので円に内接する正多角形から計算するというのは知っているのでそれでいきます。
聞いた話だとアルキメデスは正96角形まで計算したらしいのでちょっと上の正100角形に挑戦です。

さて、どうやるのでしょうか?
ここは調べずに思いつくままにやってみます。

といっても改めて考えるとそれほど難しい話でもないようです。
結局のところ問題となるのは正100角形の周の長さをどうやって求めるかにつきます。

ここからはその時考えた事です。図がないのでわかり難いですが、すみません。
各辺を1辺として円の中心を頂点とする二等辺三角形に分けます。するとそれは100個出来ます。
100個で出来ているので二等辺三角形の頂角は360度を100で割ったものです。
二等辺三角形の頂点から底辺に垂線を引きます。頂角は半分になるのでその角度を使って正弦定理より底辺の半分を出します。
それを2倍して二等辺三角形の底辺として、最後に100個分が周になるので100倍します。
これで正100角形の周の長さは求まります。最後に直径(今回は2としました)で割ればπの完成です。

さあ、後は具体的に計算するだけです。
ですが困りました。1.8度の正弦定理の出し方が分かりません。
仕方ないのでちょっと手を抜きます。
表計算ソフトの登場です。
本当に便利ですね。上の式を入力するとあっさり計算してくれました。

その結果は
3.141075907812830000000000000000

ちなみに実際は
3.141592653589793238462643383279…

なるほど小数点以下3桁までは同じと言えるようです。
正100角形までやってここまでしか合わないとは。

コンピューターの力は偉大なのでついでに正10000角形だと
3.141592601912670000000000000000

小数点以下7桁まで合うようです。
まあ、私のやり方が間違っている可能性もありますので結果の信用性は低いですが、πの凄さをなんとなく見た気がします。

ということで少し満足したのでネット検索をしてみます。
当然のごとく関連する記事が大量にありました。全然知りませんでしたが、πの計算方法は他にも色々とあるんですね。ビックリです。
そして私のやり方がダメダメだったことに気付きます。本当にダメダメです。
振り返るとちょっと恥ずかしくなる内容で、もう少し真剣に考えればよかったと思わなくもないですが、しかし試してみることに価値があると前向きに考えて良しとしましょう。
ネットで調べた結果は難しそうでしたが、やはり先人達も興味のあるテーマだったんだと改めて分かりました。
今度はこんな手抜きでなくもっとじっくり考えてみたいと思います。

でも気張らずに取り敢えずやってみるというのも良いんではないでしょうか。面白かったですし、何より余計に興味がわいてきました。
是非みなさんも何か気になったら気楽にちょっとやってみることをお勧めします。結果がどうあれ興味は増しますよ。

2014年2月21日金曜日

「あっ!」と思うためには悩むことが大切

私が勉強を教えていて一番嬉しい瞬間は生徒さんが「あっ!」と言ったときです。

塾での目的は分からなかったところが分かるようになることだと考えます。
ですから授業では基礎練習として簡単な問題もしっかり反復してもらいますが、当然それぞれにあわせた少し難しい問題にも挑戦してもらいます。
実はこの少し難しい問題というのが一番重要なのです。

明らかに難しすぎる問題というのは、実際のところは諦めてしまうというのも賢明な選択の一つです。本当はそれでも挑戦してもらいたいところですが、段階を踏まずにやる難しすぎる問題では取り組もうという気を削いでしまいます。結果的に何も考えません。そうなるといくら解説が分かりやすくてもなかなか身には付きません。

ですが少し難しい問題というのはこれまでの知識を使うことで自力で解ける可能性がある問題です。「解けるかも?」と思ってもらえれば頑張って考えて悩みます。
これがとても大事なのです。

解けるか解けないかはそれほど問題ではありません。
一所懸命に悩むことが最も大切なのです。

少し難しい問題に挑戦したけれど答えまでたどり着けなかった生徒さんに対しては少しずつヒントを与えていきます。出来るだけ答えは言いません。
そうすると生徒さんはあるとき「あっ!」と声をあげることがあります。
何かに気付くのです。
たとえ声を上げなくても、しかめっ面が急に明るくなり手も軽快に動き出すのでその瞬間はすぐに分かります。そしてこうなればしめたものです。
その生徒さんは確実に一段階成長します。

この「あっ!」という声や反応はほとんどの場合、一所懸命に悩んだ生徒さんからしか見れません。
思考することを諦めてしまった時にはまず見られません。

私たち講師は少しでも分かりやすい授業を、と心がけています。今までも色々と工夫をしてきたつもりですし、自信もあります。(もちろんいつも完璧な授業が出来ている、などと驕ったことを言うつもりはありません。今後も日々精進です。)
ですがどんなに良い説明をしたとしても、本人が悩んだ過程を経ない限りその効果は薄いと考えます。

私達は分かりやすい授業と同じく、挑戦して悩める状況を作ることを大切にしていきます。

とにかく悩んでください。
練習において解ける解けないは問題ではありません。悩むことが大切です。
そして急に道が開ける瞬間を体験してください。
それはとても気分の良い瞬間です。

2014年2月13日木曜日

カニを食べたときの話

先日、知人からカニを頂きました。
漁師さんに顔の効く方で、いわゆるB級品というやつを頂きました。
ちょっと傷がついていたりして商品にはならないけど、中身は正真正銘の越前ガニです。とても自分で買うには高すぎるものなので本当に有り難い話です。

私にとってはめったに食べられないものだけに、食べるときは万全の体制です。
やはり日本酒を飲みながら食べたいな、と思ったので時間は遅いですが仕事が終わって帰ってきた夜中に一人で黙々とむきます。

仕事で疲れていましたがテンションは高めです。ですがテンションに反して作業は極めて地味。
とにかくせっせとむきます。
上手く身が取れないものは吸い出してそのまま食べますが、しっかりお皿に貯めて食べたいので出来るだけ慎重にむいていきます。
汁が飛ばないように気をつけて、身が崩れないように力を加減して、無駄にならないように吸い出してと地味な作業を延々とおよそ30分、ついに完了です。
酷く肩がこりました。カニの汁で手が痛いです。お腹もペコペコです。

食べ方は福井の習慣にならって大根おろしと醤油に酢、カニ味噌を加えていただきます。
熱燗の準備も完璧です。

大事に食べたのですが3分ほどで食べきってしまいました。
とても美味しかったです。大満足です。
でもとても疲れました。

なので考えてしまいます。
「カニをむくのに使ったエネルギーは、そのカニを食べて得られるエネルギーより少なくない?」

ちゃんと計算していないので分かりませんけどね。
でもお宝を得るためにはそれ以上の労力が必要である、そんな教訓を学んだ気がします。

2014年2月7日金曜日

中学生の発想力に脱帽です

昨日、Yahooのページを見ているとそのニュース記事に面白いものがありました。
『メロスの全力を検証』というタイトルだったかと思います。

内容は中学生が数学の自由研究として『走れメロス』を検証したというものです。
作中に出てくる情報を頼りにどれだけの時間でどれだけの道のりを移動したか考えてその速さを検証するという内容でした。
その結果から考察されたのは「メロスはちっとも全力で走っていなかった」ということだそうです。
死力を尽くしたとされる復路後半ですら早歩き程度だというのですから笑ってしまいました。

念のため言っておきますが『走れメロス』を馬鹿にする気は全くありません。
何を言っても名作に変わりないと思いますし、こんな検証をされるあたりが名作としての証明だとも思います。
それに検証はあくまで1つの推論を出しただけで、作中の状況が完全再現されているなどとは全く思いません。
おそらく検証した少年も同じ気持ちだと考えます。
ただ、私はこういうちょっと変わった視点というのがとても面白いと思うのです。

今回この検証をした少年は凄いです。
まず、多くの人が知っている名作を読んで検証してみようと思うあたりが面白いです。
そして作中の記述を元に日の出の時刻を計算したり平均速度を出してみたりする実行力もまた素晴らしいです。

中学生にとって『速さ』の問題は難しい分野になります。内容を理解し切れていないお子さんは多く、敬遠されがちです。
ですが、もし授業でこの検証をやってみたらどうでしょうか。
おそらくいくらかのお子さんは興味を引かれると思います。

勉強は地道な基礎練習がもっとも大切だと私は考えています。ですが授業をする上で常に考えているのはお子さんの興味を引くことです。興味を引ければ理解は格段に上がります。ですがこれが難しいのです。

今回の検証は私の発想にはないものでした。
私も『走れメロス』は知っています。同じものを見ているはずなのに、その発想が出来なかったというのは悔しい話です。
中学生の発想力に脱帽しつつ、自分への良い刺激になる話題でした。今後もっと色々考えて授業を作っていきたいと思います。

ちなみにその記事は少年のコメントで締めくくられておりました。
「『走れメロス』というタイトルは、『走れよメロス』のほうが合っているなと思いました」
ナイスセンス!

2014年1月30日木曜日

文字を理解するということ(顎の骨折で学んだこと)

顎を骨折した話を以前に書きましたが、その治療中に体験したことを書きたいと思います。

顎の治療としてまずしたのが顎間固定です。(この詳細が気になる方は以前の記事を探してみてください)
その時は普通の食事が一切出来ず飲み物しか取れないので、歯の隙間からカロリーメイトを飲みながら生活をしていました。

飲むカロリーメイトのカロリーは1缶で200kcalです。
成人男性の一日の消費カロリーが大体2400kcalぐらい(たぶん)ですので、私はこれを毎日12缶飲む必要がありました。
ですが実際にそれだけ飲むのは大変です。
結局のところ私は朝昼晩と2缶ずつの計6缶を飲んで過ごしていました。ざっと消費カロリーの半分でしょうか。
入院しているわけでもないのでその間も普通に大学に通って授業を受けいていたのですが、ある日予想もしていなかったことが起きました。

講義を受けながら当然ノートをとっていたのですが、突然目の前が真っ白になっていったのです。貧血とか立ちくらみのような感じです。
椅子に座っていたので倒れることはありませんでした。しばらく俯いていると何とか視界は回復してきました。
やれやれ、とか思いながら黒板に目を戻すとビックリです、文字が読めないのです。

視力が下がったわけではありません。文字はしっかりと見えているのですが全く読めないのです。
例えるならば文字の全てが絵に見えるような感じで、その意味が理解できないのです。

とても焦りましたが、授業は私に関係なく進んでいくのでノートをとらねばなりません。
しかし何とか写そうとするのですが、文字として認識できていないので絵画を模写するような感じになってしまい、絵心のない私はちっとも上手く写せません。

途中で諦めました。とても模写では授業のスピードについていけません。

授業についていけないので私は自分の状況を一人考えることにしました。
まず、この状況はおそらく栄養不足によるものだと考えました。当然と言えば当然です。二十歳そこそこの若者が消費カロリーの半分で生活しているのですから無理があったのでしょう。そして脳が栄養不足を起こしたと予測しました。

そして次に考えたのが『文字を書き写す』ということです。
普段は何気なくやっていて意識しなかったのですが、改めて考えると複雑な作業のように思います。
まず黒板から絵と文字を区別して認識します。そして文字を読み取り内容を理解します。最後にその内容を自分の文字で書き留めるのです。
つまり『文字を書き写す』というのは文字の形を真似して書いているのではなく、その意味を理解して自分の文字を書いているということなのです。だから知らない文字は書けないのです。

例えば、見たことも無い複雑な漢字や全く知らない外国の文字を書き写すときを考えてみてください。その文字自体を知らないので1画づつ絵を真似るように書くのではないでしょうか。そして書き写した文字をみて、そのバランスの悪さに苦笑するという経験は多くの人にあるのではないかと思います。それなのです。

そんなことを考えていて改めて人間の脳の凄さに感心しました。
文字を書き写すといってもその対象となる文字はいつも同じ形をしているわけではありません。パソコンの文字でもフォントの種類は膨大にあり、どれも微妙に違った形です。ましてや手書きとなれば書く人の癖が出ますし、崩し字なども使います。
それだけまちまちの形であっても脳は同じ文字として認識できるのです。そして認識できるから自分の字に変換して書きとめられるのです。

本当に凄いですね。こんなことがほとんどみんな当たり前に出来てしまうのですから本当に驚きです。

普段、大勢の人より一段優れた能力を持つ人を見て「あの人は凄い」と多くの人が考えると思います。確かにその通りです。
でも大勢の人に出来ることは凄くないことなのかと言うとそうではないと思います。
競争社会なので他人と比較無しに生きてはいけないかもしれませんが、たまにはみんなと同じことが当たり前に出来る自分の凄さを認めてあげても良いのではないでしょうか。

顎を骨折して文字が読めないのでそんなことを考えているうちに授業は終わり、その日出された課題はさっぱり分からず赤点の憂き目にあうという悲惨な現実が私には待っていた、というオチでこのお話は終わりです。

2014年1月23日木曜日

努力が報われるとは限らない、けど…

以前、テレビを見ていると大御所の芸人さんがこんな風なことを言っていました。努力したって上手くいくとは限らないという発言に対して、当然であると。努力するということは試合の出場権を手に入れるということで、必ず勝てるというわけではない。しかし、出場権すらなしに勝つことはありえない。
そんな趣旨だったと思います。

もっともだと思いました。

先が見えない不安からその様なことを考えてしまうことは私にもあります。
努力しても上手くいくか分からないというのは当たり前でありながら大きなストレスです。でも逆に考えるならば、努力しなければ上手くいかないのはほぼ確実なんですよね。
「不確定な未来」と「確実に上手くいかない未来」とであれば前者の方が良いのではないでしょうか。

まあ、なかなかそんな風に考えられないから困るんですけど。
でも改めてそれを認識することは大切なのではないかと思います。

そして最後に私の意見をちょっと付け加えるなら、努力はどこかで必ず役に立つと言いたいです。
目指すもので結果を得られなくても、それが違う形で役に立つことは十分あります。おそらく無駄な努力というものはないのではないでしょうか。
まあ、もちろん絶対に役立つと断言は出来ませんけど、でもやっぱり結局のところやってみるしかないんですよね。

2014年1月16日木曜日

もうすぐセンター試験です

今年もこの時期がやってきました。
だいぶ遠くなった自分の時の事を思い出すと、少しだけ身の引き締まる思いです。

センター試験というと受験シーズンのスタートを告げる合図のような感覚が私にはあります。
ここから長い戦いの日々が始まるようなそんな感覚です。

そして毎年思います「何も一年で一番寒い時期にはじめなくてもいいのに」とも。

仕方ないことなのですけどね。
でもこの寒い時期に受験と言うのは本当に大変だと思います。

寒さに震えながら勉強に励み、風邪対策も忘れてはいけません。試験当日は福井ですと雪の心配も忘れてはいけません。試験会場についてからも寒さでトイレが近くなることを見越した行動が肝心です。
それ以外にも温かいときには気にしなくていいことをいっぱい気にしなければなりません。
本当に受験生は大変です。

そして同じくらい大変なのが家族でしょう。
私はまだ親の立場で受験を経験したことはないのでよく分かりませんが、ある意味当事者よりも大変な部分があるように思います。

大変なことを代わってあげることは誰にも出来ませんが、それぞれの関わり方で力になることは出来ると思います。
私も微力ながら誰かの助けになれるよう今年も頑張ります。

みんなに望み通りの結果がおとずれる訳ではありませんが、それでも後悔なく終われますよう願っています。

2014年1月9日木曜日

占いについて思うこと

年の初めといえば初詣でしょうか。そして初詣をしたならおみくじはやっぱり引くのでしょうね。
とか言いつつ私はあまりそういうことをしないのでよく分かりません。

占いに類するものが好きな方は大勢いるように思いますが、私はあまり好きじゃないのです。
別に占いが好きな人を否定するつもりはありません。それで気持ちが前向きになるのであればそんな良い事はありませんから。

ただ、ひねくれ者の私はどうにも占いを信じる気になれないと言うだけです。
どうしても当たると思えないのだから仕方ないでしょう。


まもなく阪神淡路大震災の日です。
3月になると東日本大震災の日です。
それ以外にも多くの災害が起こり、その都度わずかな時間に何千、何万の人が亡くなったり怪我をしてきました。
誰にも予測の出来ない突然の不幸です。

神社のおみくじや朝の情報番組などで星座占いを見かけると私はそういった災害を思い出してしまいます。
一度に多くの人が亡くなるわけですから、その中には
「大吉 願いの叶う年になります」とか「あなたの今日の運勢は最高です!」
などと言われた人もいたはずです。しかし最高だと思っていた日は地球規模で見ても最悪の日だったわけですから、好意的に解釈しようとしても占いが当たったとは私には思えません。
地球規模の大災害ですら予測できないのですから、とても私のことが分かるとは思えないのです。

とか書いて改めて思いました、私って本当にひねくれ者ですね。
そんなこと言わずに占いも楽しんでしまえばお得なのですから、それでいいのですけどね…

しかしまあ、占いに左右されすぎるのもどうかとは思いますので、是非ほどほどに楽しんでください。
余計なお世話?その通りです。失礼しました。

2014年1月3日金曜日

今年のお正月は・・・

今年のお正月は取り敢えず虫歯が痛かった記憶しかありません。
本当に残念な年始になってしまいました。

以前からしみると思っていたのですが、急激に悪化しました。
よりによって歯医者さんが休みの年末です。

最終的には左目が開きづらいぐらいまで顔が腫れてしまいました。
おまけにその影響でしょう、熱まで出ました。

ここまで酷い虫歯になったことはなかったので本当にビックリしました。
何とかお正月休み明けまで我慢しようと思ったのですが、痛すぎて無理でした。

今日、福井休日急患歯科診療所というところに駆け込みました。
治療してもらいお薬をもらって安静にしていました。

本当に散々な年始です。

年の初めに苦労したので今年はもう良い事しか起きないと信じようと思います。

それでは今年も宜しくお願いします。