2014年1月30日木曜日

文字を理解するということ(顎の骨折で学んだこと)

顎を骨折した話を以前に書きましたが、その治療中に体験したことを書きたいと思います。

顎の治療としてまずしたのが顎間固定です。(この詳細が気になる方は以前の記事を探してみてください)
その時は普通の食事が一切出来ず飲み物しか取れないので、歯の隙間からカロリーメイトを飲みながら生活をしていました。

飲むカロリーメイトのカロリーは1缶で200kcalです。
成人男性の一日の消費カロリーが大体2400kcalぐらい(たぶん)ですので、私はこれを毎日12缶飲む必要がありました。
ですが実際にそれだけ飲むのは大変です。
結局のところ私は朝昼晩と2缶ずつの計6缶を飲んで過ごしていました。ざっと消費カロリーの半分でしょうか。
入院しているわけでもないのでその間も普通に大学に通って授業を受けいていたのですが、ある日予想もしていなかったことが起きました。

講義を受けながら当然ノートをとっていたのですが、突然目の前が真っ白になっていったのです。貧血とか立ちくらみのような感じです。
椅子に座っていたので倒れることはありませんでした。しばらく俯いていると何とか視界は回復してきました。
やれやれ、とか思いながら黒板に目を戻すとビックリです、文字が読めないのです。

視力が下がったわけではありません。文字はしっかりと見えているのですが全く読めないのです。
例えるならば文字の全てが絵に見えるような感じで、その意味が理解できないのです。

とても焦りましたが、授業は私に関係なく進んでいくのでノートをとらねばなりません。
しかし何とか写そうとするのですが、文字として認識できていないので絵画を模写するような感じになってしまい、絵心のない私はちっとも上手く写せません。

途中で諦めました。とても模写では授業のスピードについていけません。

授業についていけないので私は自分の状況を一人考えることにしました。
まず、この状況はおそらく栄養不足によるものだと考えました。当然と言えば当然です。二十歳そこそこの若者が消費カロリーの半分で生活しているのですから無理があったのでしょう。そして脳が栄養不足を起こしたと予測しました。

そして次に考えたのが『文字を書き写す』ということです。
普段は何気なくやっていて意識しなかったのですが、改めて考えると複雑な作業のように思います。
まず黒板から絵と文字を区別して認識します。そして文字を読み取り内容を理解します。最後にその内容を自分の文字で書き留めるのです。
つまり『文字を書き写す』というのは文字の形を真似して書いているのではなく、その意味を理解して自分の文字を書いているということなのです。だから知らない文字は書けないのです。

例えば、見たことも無い複雑な漢字や全く知らない外国の文字を書き写すときを考えてみてください。その文字自体を知らないので1画づつ絵を真似るように書くのではないでしょうか。そして書き写した文字をみて、そのバランスの悪さに苦笑するという経験は多くの人にあるのではないかと思います。それなのです。

そんなことを考えていて改めて人間の脳の凄さに感心しました。
文字を書き写すといってもその対象となる文字はいつも同じ形をしているわけではありません。パソコンの文字でもフォントの種類は膨大にあり、どれも微妙に違った形です。ましてや手書きとなれば書く人の癖が出ますし、崩し字なども使います。
それだけまちまちの形であっても脳は同じ文字として認識できるのです。そして認識できるから自分の字に変換して書きとめられるのです。

本当に凄いですね。こんなことがほとんどみんな当たり前に出来てしまうのですから本当に驚きです。

普段、大勢の人より一段優れた能力を持つ人を見て「あの人は凄い」と多くの人が考えると思います。確かにその通りです。
でも大勢の人に出来ることは凄くないことなのかと言うとそうではないと思います。
競争社会なので他人と比較無しに生きてはいけないかもしれませんが、たまにはみんなと同じことが当たり前に出来る自分の凄さを認めてあげても良いのではないでしょうか。

顎を骨折して文字が読めないのでそんなことを考えているうちに授業は終わり、その日出された課題はさっぱり分からず赤点の憂き目にあうという悲惨な現実が私には待っていた、というオチでこのお話は終わりです。

2014年1月23日木曜日

努力が報われるとは限らない、けど…

以前、テレビを見ていると大御所の芸人さんがこんな風なことを言っていました。努力したって上手くいくとは限らないという発言に対して、当然であると。努力するということは試合の出場権を手に入れるということで、必ず勝てるというわけではない。しかし、出場権すらなしに勝つことはありえない。
そんな趣旨だったと思います。

もっともだと思いました。

先が見えない不安からその様なことを考えてしまうことは私にもあります。
努力しても上手くいくか分からないというのは当たり前でありながら大きなストレスです。でも逆に考えるならば、努力しなければ上手くいかないのはほぼ確実なんですよね。
「不確定な未来」と「確実に上手くいかない未来」とであれば前者の方が良いのではないでしょうか。

まあ、なかなかそんな風に考えられないから困るんですけど。
でも改めてそれを認識することは大切なのではないかと思います。

そして最後に私の意見をちょっと付け加えるなら、努力はどこかで必ず役に立つと言いたいです。
目指すもので結果を得られなくても、それが違う形で役に立つことは十分あります。おそらく無駄な努力というものはないのではないでしょうか。
まあ、もちろん絶対に役立つと断言は出来ませんけど、でもやっぱり結局のところやってみるしかないんですよね。

2014年1月16日木曜日

もうすぐセンター試験です

今年もこの時期がやってきました。
だいぶ遠くなった自分の時の事を思い出すと、少しだけ身の引き締まる思いです。

センター試験というと受験シーズンのスタートを告げる合図のような感覚が私にはあります。
ここから長い戦いの日々が始まるようなそんな感覚です。

そして毎年思います「何も一年で一番寒い時期にはじめなくてもいいのに」とも。

仕方ないことなのですけどね。
でもこの寒い時期に受験と言うのは本当に大変だと思います。

寒さに震えながら勉強に励み、風邪対策も忘れてはいけません。試験当日は福井ですと雪の心配も忘れてはいけません。試験会場についてからも寒さでトイレが近くなることを見越した行動が肝心です。
それ以外にも温かいときには気にしなくていいことをいっぱい気にしなければなりません。
本当に受験生は大変です。

そして同じくらい大変なのが家族でしょう。
私はまだ親の立場で受験を経験したことはないのでよく分かりませんが、ある意味当事者よりも大変な部分があるように思います。

大変なことを代わってあげることは誰にも出来ませんが、それぞれの関わり方で力になることは出来ると思います。
私も微力ながら誰かの助けになれるよう今年も頑張ります。

みんなに望み通りの結果がおとずれる訳ではありませんが、それでも後悔なく終われますよう願っています。

2014年1月9日木曜日

占いについて思うこと

年の初めといえば初詣でしょうか。そして初詣をしたならおみくじはやっぱり引くのでしょうね。
とか言いつつ私はあまりそういうことをしないのでよく分かりません。

占いに類するものが好きな方は大勢いるように思いますが、私はあまり好きじゃないのです。
別に占いが好きな人を否定するつもりはありません。それで気持ちが前向きになるのであればそんな良い事はありませんから。

ただ、ひねくれ者の私はどうにも占いを信じる気になれないと言うだけです。
どうしても当たると思えないのだから仕方ないでしょう。


まもなく阪神淡路大震災の日です。
3月になると東日本大震災の日です。
それ以外にも多くの災害が起こり、その都度わずかな時間に何千、何万の人が亡くなったり怪我をしてきました。
誰にも予測の出来ない突然の不幸です。

神社のおみくじや朝の情報番組などで星座占いを見かけると私はそういった災害を思い出してしまいます。
一度に多くの人が亡くなるわけですから、その中には
「大吉 願いの叶う年になります」とか「あなたの今日の運勢は最高です!」
などと言われた人もいたはずです。しかし最高だと思っていた日は地球規模で見ても最悪の日だったわけですから、好意的に解釈しようとしても占いが当たったとは私には思えません。
地球規模の大災害ですら予測できないのですから、とても私のことが分かるとは思えないのです。

とか書いて改めて思いました、私って本当にひねくれ者ですね。
そんなこと言わずに占いも楽しんでしまえばお得なのですから、それでいいのですけどね…

しかしまあ、占いに左右されすぎるのもどうかとは思いますので、是非ほどほどに楽しんでください。
余計なお世話?その通りです。失礼しました。

2014年1月3日金曜日

今年のお正月は・・・

今年のお正月は取り敢えず虫歯が痛かった記憶しかありません。
本当に残念な年始になってしまいました。

以前からしみると思っていたのですが、急激に悪化しました。
よりによって歯医者さんが休みの年末です。

最終的には左目が開きづらいぐらいまで顔が腫れてしまいました。
おまけにその影響でしょう、熱まで出ました。

ここまで酷い虫歯になったことはなかったので本当にビックリしました。
何とかお正月休み明けまで我慢しようと思ったのですが、痛すぎて無理でした。

今日、福井休日急患歯科診療所というところに駆け込みました。
治療してもらいお薬をもらって安静にしていました。

本当に散々な年始です。

年の初めに苦労したので今年はもう良い事しか起きないと信じようと思います。

それでは今年も宜しくお願いします。