2015年7月24日金曜日

ドナドナテリオス

タイトルは知らないのですが、ドナドナという印象的なフレーズの歌があったことを思い出しました。確か内容は出荷される牛が連れられていく様を歌ったものだったと記憶しております。

ついに我が愛車テリオスがドナドナされました。

トラックに積まれて運ばれていく彼はなんだか立派に見えました。
初年度登録から17年、お役目を終える日が来たのです。

さよならテリオス、今までありがとう。

2015年7月22日水曜日

さよならテリオス

我が愛車テリオスとのお別れは突然やってきました。
もともと通勤用に中古で買って10年余り、だいぶボロくはなっていたのですがなんとか車検を通してもう2年は乗ろうと思っておりました。しかし、見積もりを出してびっくり高いだろうと予測していた金額を軽々と超える提示がなされ、加えてまだまだ不安を残す部分があるという結果に車検を諦めるしかありませんでした。

これまで我がテリオスにはそれ程の愛着を持っていないと自分では思っていました。むしろなんやかんやと結構お金がかかったし、不満を感じる部分も多々あったため厄介者とさえ思ったこともあります。
ですが突然お別れすることが決まった瞬間、なんとも寂しい気持ちになってしまいました。予想外でした。

寂しいと思うと思い出されるのはテリオスとの日々です。真冬の出勤時に窓が凍って何も見えなくなり死にかけたこと、真夏にクーラーをガンガン使っていたらバッテリーが上がったこと、きつめの山道を登っていったらオーバーヒートしたこと、四駆の走破性に油断していてアイスバーンでスリップして歩道に乗り上げたこと・・・、ひょっとして悪い思い出ばかり?
そんなことはないはず、頑張って思い出します。そうそう、はじめて自分の車で海水浴に行ったというのはちょっと思い出深いことです。まあ、男2人でしたけど。広島の友達の家に行って観光したこともありました、男4人でしたけど。観光なら奈良にも行きました、別の男4人でしたけど・・・

とは言え、結局一番記憶に残っているのは毎日繰り返す単純な通勤のことですかね。ミッション車だったのですが、気持ちよくギアが繋がる日とそうでない日があったなとか、なんか走っていて気分が良くなってしまい遠回りして帰ったことがあったなとか、とにかく当たり前の毎日にはいつもこの車があったわけです。そう思うと気づいていなかったですがテリオスにはいろいろ助けられてきたのだなと感慨深くなってしまいます。

物に心があるわけではありませんが、車検が切れる最後の日には少しお別れドライブをしてきました。最後に気持ち良く走ってきました。うっかり走り過ぎて危うくガス欠になるところでしたが、無事に家に帰り着き終了です。
今後彼は配車になるべく、業者が引き取りに来る予定です。

2015年7月15日水曜日

答えは見ても構いません

私が塾で宿題を出すとき、その多くは答えと一緒に問題をわたします。そして分からないときは見てもいいことにしています。ただし、一つだけお約束として「見てもいいけど見ながら写すのはダメ。見て納得したら答えを閉じて解答を書くこと。答えだけでなくその過程も書くこと。」としています。もちろん教科書を調べたりすることをまずしてほしいのですが、前回書いたように自力で類題を見つけ出して解き方を理解するのは難度の高いことでみんながすぐ出来るわけではありません。なのではじめの段階としては正しい解答を覚えることが大切だと考えます。

実際にはただ解答を暗記しても実力にはなりません。ですが学ぶ第一歩だと考えます。
難しい問題は解答も長くなります。見ながら写すことは禁止していますから、覚えなければなりません。ですが意味の分からないものを長々と単純に暗記するのは難しいことです。そうなると流れを理解する必要が出てきます。解答を覚えるために流れやポイントを考える、これが出来れば実力はついていきます。

そして塾ではその宿題を元に問題の解き方を私が生徒さんに教えてもらいます。そのとき変な部分があれば修正して、全く身に付いていなければ流れの取り方を一緒に考えます。
分からない問題を分からないで終わると多くの場合で何が分からないのかすら分からないままになります。解答を見て分からなければ公式が分からなかったのか、計算が分からなかったのか、発想が出来なかったのかなど具体的な部分が少しずつ見えてきます。以前書いたように「分からないことを分かること」が出来てくれば勉強は大きく進むのです。

実際そう簡単に上手くはいきませんが、勉強を教えるというのは解き方だけを教えるのではなく自分で勉強が進められるようにすることでもあると考えているので、こういった形で考える練習をしていくことは大切だと思います。

それに「鉄は熱いうちに打て」ではないですが、勉強が一番身に付くのは困ったり悩んだりした瞬間にその問題が解決することだと思うので、やはり解答は持っておくべきだと考えます。

まあ、たまに答えを丸写ししてくる生徒さんもいるわけですが当塾では出来た問題でも質問していくので、ただ写した生徒さんは宿題で出来ているのに質問に全く答えられないということになり、問い詰めなくても丸写しが無駄だと気付いてくれるようで直ぐにそれはやらなくなることが多いです。

2015年7月2日木曜日

調べる能力

勉強をするというのは知識を蓄えたり、思考力をつけたりすることだと思います。
私も生徒さんに勉強を教えるときに「この用語の意味は必ず覚えておいて」とか「この考え方大事だよ」などとよく言います。身につけて使えてこその学力だと思いますが、実際に全てをしっかり覚えているというのはとても難しいことだとも思います。

ということで実はとても大事なのが「調べる能力」だと考えます。
そしてこれは覚えきれないから調べる、というだけではなく勉強をする上でも必要な能力なのです。

元々、勉強をするというのは分からなかったことを分かるようにすることだと思います。一所懸命に考えるだけで分かるようになるのなら良いのですが、多くの場合は人や書物などに教えてもらうことで分かるようになっていくと考えます。しかし残念なことに都合よく教えてくれる人が近くにいるという状況は少ないもので、あれやこれやと調べて学ばなければいけないことが大半です。

そんな時に必要なのが「調べる能力」、目的のものを探し出すというのは結構難しいことなのです。

例えば数学の問題です。解き方が分からないときには教科書やワークを調べることは有効ですが、全く同じものが載っていることは稀です。そうすると類題を探すわけですが、問題の構造が全く分かっていない人には類題を見つけ出して解き方を知るということは出来ません。類題を探すためには問題のポイントをある程度抑えている必要があり、またどの辺りにそのジャンルがあるのか予測する必要もあります。ということは調べて解けるようになること事態が勉強になるのです。

私の話ですが、先日マクロの勉強をはじめたという内容のことを書きました。今でも継続中ですが、もともと知識が全くないに近い状況からはじめているので分からないことばかりです。知らないことはいくら考えても分からないので調べるわけですが、それにはインターネットがとても役に立ちました。いろいろな人が多くの情報をアップしてくれており、私が困っていることはだいたい誰かしらが同じように困っていて、また誰かしらが答えてくれています。私はその情報を自分用に直して使えばいいわけです。
ただそれにはいくつか問題があります。まずは自分が知りたいことと全く同じことがそのまま載っていることは少ないということです。答えの丸写しはなかなか出来ず、類題から自分の問題に合うように直さなければいけません。
そして有難い反面とても困るのが、情報が多くありすぎることです。多くの類題から自分に合うものを探し出すのは結構大変です。時には内容が間違っていることもあり、数多の情報の取捨選択は一苦労です。
ですがこれらの苦労は日に日に減っていきます。自分が内容を少しずつ理解していくので調べる精度が上がってくるのです。何かが分かるようになったと実感するよりも先に、調べる時間が短くなっていくことで自分の成長を感じることが出来ました。

生徒さんから「勉強の仕方が分からない」といった言葉はしばしば聞きます。その答えの1つは「調べる能力」を鍛えることだと考えます。