2015年12月30日水曜日

年越しについて考えてみた。

もう直ぐ今年も終わり、新しい年がはじまります。
しかし私の生活としてはさほど変わりません。今のところお正月特訓コースとかやっていないので久々の連休にはなりますが、大型連休というほどにはなりません。以前のもっと忙しかったときはそれこそ正月休みなどありませんでした。そんなときには「今週も普通の一週間があるだけ」と世の中のお休みムードを必死に無視していたものです。

また休みがあったところで年を越しても別段変化というものは感じません。そうすると年越しとは何なのかとかどうでもいいことを考えてしまいます。

地球が太陽を一周して元の位置に戻ってきたタイミングとか考えてみました。でも0.25日ほどずれているし、そもそも毎日がそうであって今日が特別というわけでもない気がするし、ということで関係ないかな?とかとか。

結局のところよく分かりません。
ただ1つ感じるのは大人になると進級したり卒業したりといった大きな変化が少なくなるということです。基本的に日々の生活は同じことの繰り返しで、子供のころに感じたような新鮮味や緊張感を味わう機会が減ってしまいます。
また学生時代は毎日が新しいことを学びます。学ぶことが学生の役割ですから当然ですが、それは常に知らないことに挑んでいくということです。もちろん大人でも新しいことはありますし学ばなければなりませんが、惰性でやり切れることも多くなるように思います。

私などは怠け者なので油断すると楽な方にすぐいってしまいます。それは手を抜くということではなく挑戦しなくなるということです。同じことの繰り返しは楽です。でもただの繰り返しは楽しくありません。それでも新しいことは大変なので惰性に流されてしまいがちです。

そんなときに何かの区切りというのは意味があるように思います。
何も変わらないはずなのに区切りをつけることで気分が変わる感覚は私にもあります。私の場合は新年よりも新年度の方が強いですが、やはり新しく何かしたい気がしてきます。

年越しというのはそういうことなのでしょうか?
「今年の目標は?」と聞くのはみんなどこかで新鮮な何かを求めているからなのかも知れません。

毎度のことですが偏屈なことは言わずにみんなと新年を祝って新しい気持ちになれば良いだけなんですね。
ということで新年、心機一転頑張ります。


でも実は「新しいことに挑戦しないといけない」と一番感じるのは、一所懸命に新しいことを学ぼうとしている生徒さんたちを見ているときなんですけどね。

2015年12月10日木曜日

多くの人にお勧めしたい本があります。2

前回に続き今回も気に入った本の話をしたいと思います。
今回は先にタイトルから紹介しておきます。

『素数表150000個』

あきれないでください。
前回紹介の『円周率1,000,000桁表』とあわせてお勧めです。
でもどちらかというとこの素数表の方が私としてはお勧めです。

中学数学のおさらいですが素数とは約数が2つ(1と自分自身の数)しかない数のことです。大雑把に言ってしまえばどんな数でも割り切れない数です。特別な数なのです。
これば現代数学でも研究の対象となる謎に満ちた数なのです。
素数には一般式のようなものがなく、簡単に見つける術が発見されていないのです。なので極端な言い方をすればある数が素数かどうか確認するためにはその数に至るまでの全ての数で割ってみて割り切れるものがないことを確認するしかないのです。(正確には全部ではないですけど)小さい数ならいいですが何万、何億、何兆と大きくなってくるとコンピュータで計算させても膨大な時間が掛かってしまいます。
将来的には「リーマン予想」なる研究が進めば解明されるかもしれませんが、今はまだなので手間隙をかけるしかありません。

そのため素数はネット上などの暗号技術に使われているそうです。詳しくは知らないですが、巨大な素数を2つ掛け合わせて半素数を作ります。この数は1以外に2つの数でしか割り切れない数ということになります。割り切れる2つの素数がカギになるとか。

そんな縁の下の力持ちである素数、眺めているだけでも結構楽しいです。思いがけず面白い数の素数を見つけたり、誕生日に見えたりと役には立ちそうも無いですが面白いです。そして一番気になるのが15万個目の素数は果たしてどれぐらいの数なのか?気になりません?
私の中では意外と小さい数だという印象を持ちました。答えが気になる方は是非確かめてみてください。
まあ、本を買わなくてもこれぐらいならパソコンに計算させてもいいのですけどね。

2015年12月5日土曜日

多くの人にお勧めしたい本があります。

最近、面白い本を見つけました。
大きさはA5判で100ページぐらいの薄い本です。その分値段も安くて本体価格314円で、白黒の絵すらない硬派な本です。

面白い本と表現しましたが内容は学問書に近いと思います。単純でありながら奥の深い内容で、まだ全ては読めていません。と言うか一部しか読めていないと言ったほうが正しいです。それでもまた読みたくなってしまい、ちょこちょこ手にとっては気の向いたところを見ています。

とても興味深く読んでいるのですが読んだ内容は難しくてほとんどが覚えていられません。なので仮に一度読んだところでもまず気づくことは無く何度でも新鮮な気持ちで読むことが出来ます。

記述自体は子供でも読めるほど簡単なのですが、表面的なことではなくその本質を読み取る事は私にとっては難しいです。だからこそ何度も読みたくなるのかも知れません。

意味は理解できていないのですが、読んでいると数学の深遠な世界に小指の先ぐらい触れたような錯覚を覚えます。私が本書を気に入っているのはその辺りなのかもしれません。
非常に真面目でありながら、とてもふざけた本書を是非多くの皆さんにも読んでいただきたいと思います。

本のタイトルは
『円周率1,000,000桁表』
です。

なお、きちんと一般流通の本らしくamazonでも購入可能です。

2015年11月26日木曜日

保護者さんにとても喜ばれました

先日のことです。講師が柿を持ってきてくれました。家に生えている柿木から大量の柿が採れてあまっているからお裾分けという事です。本当に大量にあるようで、折角だから生徒さんたちにもあげようということになりました。

当塾は1対1で生徒さんを指導しており、帰りは当然1人ずつ送り出しているのでその送り出すときに柿を配っていきました。お迎えの生徒さんも多いので保護者さんに直接渡すことが多くなります。
塾で柿を配るという脈絡の無さに毎回自分たちが気恥ずかしく他意はないことを伝えながら皆さんに配りました。本当に他意はなくお裾分けの軽い気持ちだったのですが、思いのほか喜ばれてしまいました。いや、本当に反応が良かったんです。
柿の偉大さを知りました。

・・・

そして、もっと頑張ろうと思いました。

2015年11月18日水曜日

「ロケットスタート」に思うこと

「ロケットスタート」という表現はご存知でしょうか。多くの人が耳にしたことはあると思います。
私もテレビなどで時々聞きますがいつも違和感を感じてしまいます。正確に意味を調べたことはありませんが、使われる場面を見ていると出だしの早いことを表現しているようです。なんとなく気持ちは伝わるのですが、使っている人は本当のロケットのスタートを知っているのかと疑問に思ってしまいます。

はっきり言ってロケットのスタートは遅いのです。そして遅くなければいけないのです。
そもそもロケットは人や物を運ぶ輸送機です。ですから中の物をきちんと目的の場所に届けることが一番の使命なのです。
例えば衛星軌道に物を運ぶためには最終的に秒速8km弱の速さが必要です。これはかなり早いです。もし一瞬でこの速さに加速できるとしたら、そのGはとてつもなく中の人は死んでしまうでしょうし、物でも壊れる可能性は高くなります。それよりも根本的にあの巨体を一瞬でこの速さまで持っていくのは少し無理がありそうです。

大昔の名作に「月世界旅行」というジュール・ヴェルヌの作品があります。まだ空を飛ぶことさえままならなかった時代に書かれたSFです。この中では月まで行く手段として砲弾が使われています。大きな大砲で人を乗せた弾を打ち出します。砲弾にはエンジンなどついていない訳ですから打ち出した瞬間の力だけで第二宇宙速度(秒速11km強)まで達する必要があります。恐らく人は死んでしまうのではないでしょうか。この作品が時代的なものを含めて名作であることに変わりはありませんが、現在の常識では無理があります。

砲弾と違いロケットは燃料を燃やしながら進みます。つまり徐々に速度が上がるということです。

つまり出だしが早いことを形容するなら「弾丸スタート」の方があっているといえるのです。

でもまあ、雰囲気は伝わるようなので本当は細かいこと気にしなくても良いのですけれどね。
ただロケット好きとしてはちょっと言っておきたかったというだけの話でした。

2015年11月11日水曜日

乱れた日本語?

前回、「日本語の乱れを正す!」みたいな事を書きましたが、あれは冗談ですよ。念のため。
だいたいこの書き出しから分かる通り私の日本語も乱れております。他人にものを言える立場ではありません。それに加えて私は日本語の乱れに寛容です。

以前、お正月に日本語の成り立ちを紹介する特番がやっていました。さほど興味は無かったのですが、見始めたら面白くて2~3時間あった番組を最後まで見てしまいました。
それによると今に至る日本語の成り立ちはかなりいい加減なものだというのです。
残念ながら私の記憶力では詳しく説明できませんが、雰囲気で外国語を取り入れたり誤用が定着したりといったことが多々あって今に至るそうです。

例えば「素晴らしい」という言葉ですが、元々は悪い意味の言葉だったそうです。
むかしは平仮名で「すばらしい」と書き、成り立ちの似た言葉が「みすぼらしい」です。それがいつのときか「素晴らしい」という当て字が生まれ、その雰囲気から良い意味に変わってしまったというのです。
今では良い意味で定着しており、本来の意味を持ち出したところでほとんどの人には通じないのではないでしょうか。それでは、通じない「正しい意味」というのは本当に正しいと言えるのでしょうか?

言葉とは人と人が意思を伝える手段なのです。形にだけ拘る(「拘る」も元々は悪い意味を含んでいました)ことが大切なのではなく、柔軟に変化することこそが言葉に必要な能力のように思います。

そういう意味で「日本語」はとても素晴らしいと思っています。漢字、カタカナ、ひらがな、時にはアルファベットまで普通に混ぜて使い、外来語も簡単に受け入れる。新語や略語が次々生まれても案外すぐに馴染んでしまう。他の言語に詳しくはありませんが、かなり寛容な言葉な気がします。

そして寛容ということであれば、いわゆる「正しい日本語」を大切にしている人がいることも良い事なのだと思います。双方が常にゴチャゴチャと揉めながら進化していくことが正しいあり方なのではないかと考えます。

出来ることならば揉める余地があるように、「そんな日本語は駄目!」と直ぐに切り捨ててしまわず一考してみてはいかがでしょうか。その方がきっと面白いと思います。

まあ、偉そうに語ってしまいましたが私も若いとは言いづらい歳になり、最近の若者言葉に「ちょっと待て!」と思うことが増えてきてしまっているのですけれどね。

2015年11月5日木曜日

「謝罪したいと思います」という表現に思うこと

日本語の乱れを嘆く方も多い昨今ですが、私も気になることがあります。それがタイトルにある「謝罪したいと思います」とう表現です。色々な場面で耳にすることがあるのですが、よくよく考えるとおかしな言葉です。

まず「謝罪したい」という部分ですが、これは「○○する」という意思表示ではなく「○○したい」という願望ではないでしょうか。謝ることすら願望でしかないのです。
次に「思います」という部分です。「します」という宣言ではなく「思っている」という気持ちを表現しただけなのではないでしょうか。思うだけなのです。

つまり「謝罪したいと思います」の意味を考えると、「謝りたい願望はあるしそう思っているけど実際にするかは分かりません」と解釈できるのです。
類義語に「注意したいと思います」や「反省したいと思います」などがあります。どちらもするとは言っていません。したいと思っているだけなのです。

とても良く出来た言葉です。核心は何も言わずに振りだけ出来てしまうのです。わざとやっているのでしょうかね?

とか何とか偉そうに語ってしまいましたが、まあ揚げ足取りです。捻くれた私がそう感じてしまったというだけのお話です。
「どうか気を悪くしないでほしいと思います」

2015年10月21日水曜日

福井の大一番、学力診断テスト間近

今年もこの時期がやってきました。
福井の中学生にとってもっとも大切と言われる学力診断テスト(通称:学診)です。この結果を基準に志望高校を決めるため、結果を出せないと望む高校への願書提出を拒まれることもあるようです。また入試の練習の意味合いもあるようで中学3年間でもっとも難しく、入試レベルかそれ以上とも言われているテストです。

出題の傾向ははっきりしている方なのですが、教科書改訂以降すこし変わったようで今後どうなるか若干の不安があります。
ちなみに数学の出題傾向をちょっとだけ。

数学は大問が5題で①小問集 ②確率or規則性(前回は資料の活用) ③連立方程式 ④関数 ⑤図形 といった感じです。
①は幅広い分野から出題されますので中学全体の理解が必要ですが、内容は基本的なものが多く難しくはありません。そして難しくないので絶対にミスをしてはいけない箇所といえます。大体いつも40点ぐらいはありますから、数学のに苦手な人はまずここだけは取るように勉強しましょう、逆に数学の得意な人は絶対にミスをしてはいけない部分です。
②はちょっと対策の立てづらい部分です。特に規則性の問題は数列の考え方を使うことも多いので中学生には少し酷です。ポイントとしてはここで時間をかけすぎない事です。ちょっと出来そうなときほど注意です。時間だけとられて出来ないと最悪ですので時間管理をしっかりしましょう。また最近の福井の傾向としては資料の活用を出題したがるように見えます。この分野は基本通りでほとんど取れるので、きちんと備えることがこれからは大事です。
③連立方程式は「割合」か「速度」の問題がよく出ます。つまり難しいということです。ただ連立方程式はある程度明確な着眼点があるのできちんと文字式をつくる勉強が出来ていれば十分取れるところです。苦手な子は最初の1問だけでもとりましょう。1問目は基本的に文字式の基本が分かれば解けます。基本が出来ていればやることが明確なので得意な子にはそれほど苦ではない分野です。しかしそれはミスが許されないということでもあります。
④1次関数が基本となる問題が多いです。1次関数はやることが明確なので文章に惑わされず基本どおりやれば難しくはありません。ただ部分的に図形の知識が必要だったり、設問の意図が読み取りづらかったりということはあるので油断は禁物です。でもやはり得意な子は絶対のミスをしてはいけない部分です。
⑤図形の証明問題をスタートにして2年生の内容中心に幅広く問われます。正直いって難しすぎると感じることもある一番厄介な部分です。図形は方程式や関数ほど明確に解放の手順が決められません。もちろん着眼点はあるのですが必ずといえるやり方はなかなか無いので苦戦します。数学の得意な子にとってはここで点差が生まれると言っても過言ではありません。逆に言えばここ以外はミスが許されないともいえます。差をつけるならば図形をしっかりマスターすることが大切です。なお、適切な言い方ではないかもしれませんが、数学の苦手な子はここ以外のところにしっかり力を入れる方が効率的です。なぜなら得意な子でも難しい図形は間違い率が高いため点差になりにくいからです。

ちょっとだけ書いたつもりが長くなってしまいました。細かくはまだまだ言い足りないですが、これぐらいにしておきます。

なお、学診で志望校が決まるといった話をしましたがまだ挽回のチャンスはあります。それが年明け1月のはじめにある実力テストです。学診で決めきれなかった場合の最終判断として利用されるテストで同じぐらい難しいものです。
まずは目の前のことに全力で、終わったら次のことに全力で。結局それしかありません。
うまくいっても浮かれず、失敗しても落ち込まず。受験ははじまったばかりです。

2015年10月15日木曜日

この痛み、久しぶり

秋になり食欲が増しました。塾の仕事というのは肉体労働でないためお肉が付きやすいものです。
このままではいかん!ということで少しでも運動をしようと心に決めました。
帰宅はだいたい良くても11時過ぎにはなるのでそこから激しい運動はつらいものがあります。また急に高い目標を立てすぎても出来ません。ということで「帰ったら腕立て伏せと腹筋を少しやる」とかなり緩やかな目標を立ててみました。

初日、びっくりです。全然回数が出来ません。自分の衰えに驚くしだいです。早くも諦めそうです。それでもせめて三日坊主まではいこうと汗が出るくらいは頑張ってみました。

翌日、筋肉痛です。

予想はしていましたが、あの程度の軽い運動でこれほどまでに激しい筋肉痛が襲ってくるとは思いませんでした。改めて自分の衰えにショックです。そして当然のごとくあちこち痛いのでこの日の筋トレはお休みです。「毎日やる必要はないのだ、週に2~3回を継続したほうがいいのだ」と自分に言い訳をしつつ体の回復を待ちました。

以前にテレビで見た元気なご高齢のおじいさんがそのコツを言っていました。
「厳格にやりすぎないこと。あまり厳格にしすぎると辛いからかえって続かない。少しぐらい適当がちょうど良い」とても良いお話だと思いました。

続けることこそ大事。これは私がいつも生徒さんに言っていることです。言うは易し行うは難し・・・、頑張ってみます。

なお現在はその痛みも回復してぼちぼち筋トレ継続中です。

2015年10月8日木曜日

何で秋を感じるのだろう?

秋なのでしょうか?
最近は朝夕の寒い日が増えた気がします。でもその割りに日中はとても暑くてあまり秋らしくないと思ったりもします。
秋はどのようなときに感じるのですかね?
やっぱり紅葉を見ると秋らしい気がしてきますし虫の音でも秋っぽくなったとか思うのですが、福井に住んでいる私は田んぼで稲ワラを焼くにおいを嗅いだときに一番秋を感じます。
いわゆる良い匂いと言う訳ではないのかもしれませんが、素朴な田舎独特の香りは嫌じゃありません。地元福井に住んでいるのであまり関係ないかもしれませんが、これが故郷の匂いなのかと考えたりもします。

他には食欲が増してきたときに感じます。正確に言うならば体重が増してきたときということになるのでしょう。
特別に秋の味覚を堪能しているわけではないのですが、いつもと同じ量を食べたはずなのに満足しきれずちょっとつまんでしまうというようなことが増えてくると秋を感じます。
ちなみに食欲の秋は私がいやしいというだけでなく、科学的にも正しいそうです。
人間は生きているために自分で体に熱を作ります。夏の暑い日から秋の涼しい日に移り変わると体はこれまで気温のおかげで楽していたものが一転してより多くの熱を作らなければならなくなります。つまり寒くなると基礎代謝が上がるということで、そのために体はより多くのエネルギーを必要とします。これまでより急にエネルギーが必要になることで人間はより空腹だと感じてしまうようです。(聞きかじりの知識です、違ってたらごめんなさい)

といった理屈は面白いですが、だからといって本能に任せていると太ってしまう秋です。
塾に来てくれる生徒さんは当然十代ばかりです。まだまだ成長期で多少食事が増えたところで問題ありません。問題は私です。
食欲を感じたらではなく、空腹を耐えるようになたら私の秋が始まったと言えるのかも知れません。

2015年9月24日木曜日

ラグビーの代表基準が面白い

先日の大金星いらい話題のラグビーですが、正直全然知らないスポーツでした。話題になっている今でもルールとか良く分からないのですが、テレビでよく取り上げられるので少しずつ詳しくはなっています。そんな中で気になったのはラグビー自体のルールよりも代表選手になれる基準でした。

私の認識では、国の代表は国籍が基準で決められるものだと思っていました。サッカーの日本代表やオリンピックの日本代表でもわざわざ帰化してなったなどという話は耳にしたことがあったので大して疑いもなくそう思っていたのですが、ラグビーは違ったようです。

テレビから得た知識によれば、日本代表になる基準は①日本の生まれであること。②両親祖父母のうち1人以上が日本人であること。③日本に3年以上住んでいること。の3点のどれかを満たせばいいというものだそうです。ずいぶんとハードルの低い条件に思えます。

差別するつもりはないのですが身近に外国の人がいないためか、日本代表といいながら外国の人が入っていると一瞬違和感を感じてしまう国際時代に不適合な保守的でダメな私には新鮮な驚きでした。
ラグビーは共に活動してきたことの方を重んじる、ということだそうで選手たちに違和感はないとの話です。
なんだか良いですね。

日本人に対して愛着というか仲間意識があるというのもいいことだと思いますが、国際化の激しい現代においては国際結婚も珍しくはなくなってきたわけで、そういった枠に縛られるのはもったいない気もします。

「仲間」というのはいいものだと思いますが、行き過ぎると他者を排除するなんて事にも成りかねないもので、気をつけなければならないと思った次第です。

2015年9月17日木曜日

うちの塾の無料資料請求ができるサイトがあるようです

先日ウェブを見ていたところ学習塾をまとめたようなサイトに行き当たりました。折角なので我が芯学塾を調べてみるとちゃんと入っているではありませんか。少しでも世間に認知されることは有難いことで、うれしく思ったのですが不可解な点が一つ。
「無料で資料請求ご相談いただけます」の文字が。

うちの塾、特にそういったことはやっていないのですが・・・

といいますのも、必要と思う情報はすべてホームページに載せて公開しているのでそれ以外に特別にお渡しするものがないからです。
元々、塾をはじめるときに大切にしたことの1つが極力情報は公開するということです。そしてそれはインターネットで簡単に出来てしまうのです。それこそお金をかける必要もありません。

なので私たちからするとホームページを見ているのに料金が不明瞭なページには悪意を感じてしまいます。わざと分かりにくくして問い合わせを待つという作戦なのでしょう。また資料請求してくれれば貴重な住所や電話番号などのデータも得られます。営業戦略としては正しいのでしょうし、悪いことをしている訳でもありません。ただあまり私の好みではありません。

うまく出来ているかはわかりませんが、出来る限り誠実な塾でありたいと思っています。そして今は何とかそれでやっています。今後も理想を追い求めていきたいです。
(とか言っておいてあっさり方針転換してたりして・・・?)

2015年8月6日木曜日

夏の日の悲劇(エアコンが壊れた日)

7月も終わりの暑い暑い日のことです。エアコンが壊れました。
世の中にはいろいろな恐ろしいことがありますが、暑い夏の日に突然「ボフッ」と音を上げてエアコンが動かなくなるというのはかなりの恐怖だと思います。

悲劇は授業中に起きました。突然のことに状況の理解が追いつきません。ですが授業中なのでまずは授業が優先です。しかしこのままいけば部屋がサウナになるのは必至、どうしたものか。まあ幸いというかなんと言うかその授業は余韻で逃げ切りました。
しかし問題は何も解決していません。この後にも授業はあります。取り敢えず出来ることをやってみます。コンセントの抜き差し、フィルタの掃除などなど。しかし駄目です。電源は入るのですが室外機が全く動かず、本体も直ぐに止まってしまいます。ここで復旧は断念しました。

となれば次の行動は大家さんにご連絡です。備品の故障なので直してくれるはず。不動産屋さんを介して連絡してもらいます。さすがにこの暑さです、ご理解いただけたようで対応してくれるとの返答がもらえました。良かったと安堵するのもつかの間、対応は翌日とのこと。十分早い対応で有難いことですが、この後に控えた授業には間に合いません。困った。

よくよく悩んだ結果、事情を伝えて振替を提案することにしました。予定の急な変更は申し訳ないことですが、事情が事情だけに納得してもらえるものと思い連絡していくと1人の生徒さんから「大丈夫です」との返事。
「暑いのは平気なので」
「・・・」
そう言われては仕方がありません。元々、授業がしたくないわけではなく生徒さんに申し訳ないかと思っての措置ですから本人が良いというなら
私が嫌がる理由はありません。
一応念押しに本当に暑いということを伝えましたが意思は変わらないようです。本当に大丈夫だろうかと不安はありましたが私も覚悟を決めました。

そして生徒さんが授業にやってきます。
「大丈夫です」
と言いながらも顔には若干の驚きの色が見えたように思いました。恐らく思ったよりも暑かったはずです。
ですが本人も大丈夫と言った手前、我慢している様子。
汗でノートがベゴベゴになりながら、シャツが体に張り付きながら、滴り落ちる雫に文字がにじみながら、開けた窓の外からはどこかでやっている花火大会の音を聞きながら80分の授業は無事終わりました。生徒さんは最後までよく頑張ったと思います。ですが私も頑張りました。2人で何かを成し遂げたような達成感を共有したかどうかは分かりませんが、教室から出たときに感じた爽快感は同じだったと思います。
兎にも角にも熱中症で救急搬送、という事態が避けれたことが一番の成果でしょう。

そして一つの修行を終えた私は後始末をして教室をいつもより早めに出ました。
なお、この日の暑い熱い授業はこの1件だけでした。

翌日には無事エアコンが復活、普通に出来る授業の有難さを感じる日となりました。

夏の暑い日の貴重な思い出です。

2015年7月24日金曜日

ドナドナテリオス

タイトルは知らないのですが、ドナドナという印象的なフレーズの歌があったことを思い出しました。確か内容は出荷される牛が連れられていく様を歌ったものだったと記憶しております。

ついに我が愛車テリオスがドナドナされました。

トラックに積まれて運ばれていく彼はなんだか立派に見えました。
初年度登録から17年、お役目を終える日が来たのです。

さよならテリオス、今までありがとう。

2015年7月22日水曜日

さよならテリオス

我が愛車テリオスとのお別れは突然やってきました。
もともと通勤用に中古で買って10年余り、だいぶボロくはなっていたのですがなんとか車検を通してもう2年は乗ろうと思っておりました。しかし、見積もりを出してびっくり高いだろうと予測していた金額を軽々と超える提示がなされ、加えてまだまだ不安を残す部分があるという結果に車検を諦めるしかありませんでした。

これまで我がテリオスにはそれ程の愛着を持っていないと自分では思っていました。むしろなんやかんやと結構お金がかかったし、不満を感じる部分も多々あったため厄介者とさえ思ったこともあります。
ですが突然お別れすることが決まった瞬間、なんとも寂しい気持ちになってしまいました。予想外でした。

寂しいと思うと思い出されるのはテリオスとの日々です。真冬の出勤時に窓が凍って何も見えなくなり死にかけたこと、真夏にクーラーをガンガン使っていたらバッテリーが上がったこと、きつめの山道を登っていったらオーバーヒートしたこと、四駆の走破性に油断していてアイスバーンでスリップして歩道に乗り上げたこと・・・、ひょっとして悪い思い出ばかり?
そんなことはないはず、頑張って思い出します。そうそう、はじめて自分の車で海水浴に行ったというのはちょっと思い出深いことです。まあ、男2人でしたけど。広島の友達の家に行って観光したこともありました、男4人でしたけど。観光なら奈良にも行きました、別の男4人でしたけど・・・

とは言え、結局一番記憶に残っているのは毎日繰り返す単純な通勤のことですかね。ミッション車だったのですが、気持ちよくギアが繋がる日とそうでない日があったなとか、なんか走っていて気分が良くなってしまい遠回りして帰ったことがあったなとか、とにかく当たり前の毎日にはいつもこの車があったわけです。そう思うと気づいていなかったですがテリオスにはいろいろ助けられてきたのだなと感慨深くなってしまいます。

物に心があるわけではありませんが、車検が切れる最後の日には少しお別れドライブをしてきました。最後に気持ち良く走ってきました。うっかり走り過ぎて危うくガス欠になるところでしたが、無事に家に帰り着き終了です。
今後彼は配車になるべく、業者が引き取りに来る予定です。

2015年7月15日水曜日

答えは見ても構いません

私が塾で宿題を出すとき、その多くは答えと一緒に問題をわたします。そして分からないときは見てもいいことにしています。ただし、一つだけお約束として「見てもいいけど見ながら写すのはダメ。見て納得したら答えを閉じて解答を書くこと。答えだけでなくその過程も書くこと。」としています。もちろん教科書を調べたりすることをまずしてほしいのですが、前回書いたように自力で類題を見つけ出して解き方を理解するのは難度の高いことでみんながすぐ出来るわけではありません。なのではじめの段階としては正しい解答を覚えることが大切だと考えます。

実際にはただ解答を暗記しても実力にはなりません。ですが学ぶ第一歩だと考えます。
難しい問題は解答も長くなります。見ながら写すことは禁止していますから、覚えなければなりません。ですが意味の分からないものを長々と単純に暗記するのは難しいことです。そうなると流れを理解する必要が出てきます。解答を覚えるために流れやポイントを考える、これが出来れば実力はついていきます。

そして塾ではその宿題を元に問題の解き方を私が生徒さんに教えてもらいます。そのとき変な部分があれば修正して、全く身に付いていなければ流れの取り方を一緒に考えます。
分からない問題を分からないで終わると多くの場合で何が分からないのかすら分からないままになります。解答を見て分からなければ公式が分からなかったのか、計算が分からなかったのか、発想が出来なかったのかなど具体的な部分が少しずつ見えてきます。以前書いたように「分からないことを分かること」が出来てくれば勉強は大きく進むのです。

実際そう簡単に上手くはいきませんが、勉強を教えるというのは解き方だけを教えるのではなく自分で勉強が進められるようにすることでもあると考えているので、こういった形で考える練習をしていくことは大切だと思います。

それに「鉄は熱いうちに打て」ではないですが、勉強が一番身に付くのは困ったり悩んだりした瞬間にその問題が解決することだと思うので、やはり解答は持っておくべきだと考えます。

まあ、たまに答えを丸写ししてくる生徒さんもいるわけですが当塾では出来た問題でも質問していくので、ただ写した生徒さんは宿題で出来ているのに質問に全く答えられないということになり、問い詰めなくても丸写しが無駄だと気付いてくれるようで直ぐにそれはやらなくなることが多いです。

2015年7月2日木曜日

調べる能力

勉強をするというのは知識を蓄えたり、思考力をつけたりすることだと思います。
私も生徒さんに勉強を教えるときに「この用語の意味は必ず覚えておいて」とか「この考え方大事だよ」などとよく言います。身につけて使えてこその学力だと思いますが、実際に全てをしっかり覚えているというのはとても難しいことだとも思います。

ということで実はとても大事なのが「調べる能力」だと考えます。
そしてこれは覚えきれないから調べる、というだけではなく勉強をする上でも必要な能力なのです。

元々、勉強をするというのは分からなかったことを分かるようにすることだと思います。一所懸命に考えるだけで分かるようになるのなら良いのですが、多くの場合は人や書物などに教えてもらうことで分かるようになっていくと考えます。しかし残念なことに都合よく教えてくれる人が近くにいるという状況は少ないもので、あれやこれやと調べて学ばなければいけないことが大半です。

そんな時に必要なのが「調べる能力」、目的のものを探し出すというのは結構難しいことなのです。

例えば数学の問題です。解き方が分からないときには教科書やワークを調べることは有効ですが、全く同じものが載っていることは稀です。そうすると類題を探すわけですが、問題の構造が全く分かっていない人には類題を見つけ出して解き方を知るということは出来ません。類題を探すためには問題のポイントをある程度抑えている必要があり、またどの辺りにそのジャンルがあるのか予測する必要もあります。ということは調べて解けるようになること事態が勉強になるのです。

私の話ですが、先日マクロの勉強をはじめたという内容のことを書きました。今でも継続中ですが、もともと知識が全くないに近い状況からはじめているので分からないことばかりです。知らないことはいくら考えても分からないので調べるわけですが、それにはインターネットがとても役に立ちました。いろいろな人が多くの情報をアップしてくれており、私が困っていることはだいたい誰かしらが同じように困っていて、また誰かしらが答えてくれています。私はその情報を自分用に直して使えばいいわけです。
ただそれにはいくつか問題があります。まずは自分が知りたいことと全く同じことがそのまま載っていることは少ないということです。答えの丸写しはなかなか出来ず、類題から自分の問題に合うように直さなければいけません。
そして有難い反面とても困るのが、情報が多くありすぎることです。多くの類題から自分に合うものを探し出すのは結構大変です。時には内容が間違っていることもあり、数多の情報の取捨選択は一苦労です。
ですがこれらの苦労は日に日に減っていきます。自分が内容を少しずつ理解していくので調べる精度が上がってくるのです。何かが分かるようになったと実感するよりも先に、調べる時間が短くなっていくことで自分の成長を感じることが出来ました。

生徒さんから「勉強の仕方が分からない」といった言葉はしばしば聞きます。その答えの1つは「調べる能力」を鍛えることだと考えます。

2015年6月18日木曜日

プレミアム商品券で盛り上がっているようですが…

各地で話題となっているプレミアム商品券がわが町の福井でも発売になりました。先週の土曜日のことです。
地域によってプレミアム率は違うようですが、福井市では20%のプレミアムが付いて1人5万円で6万円分まで買えるというものです。
全国ニュースによると行列が出来るほどの人気だということでしたが、他人事のように見ていました。
なので福井での発売がいつなのかも知らなかったのですが発売が近づいてくると当然情報も入りやすくなるもので、そうすると少しほしくなってくるのです。
よくよく考えればお得ですよね。かなりの店舗で使えるわけだからほとんど現金と変わらなくて、何もせずに1万円もらえるようなものなのですから。

ということで買いに行くことにしました。土曜の朝10時から販売開始だから10時頃に行って少し並んぶのも覚悟、1時間並んでも時給1万円と思える。そんな風に軽く考えていたのですが、甘かったです。

結局予定より少し遅れて10時半頃に最寄の販売しているスーパーに行ったのですが、すでに大行列でした。店の外に出来た長蛇の列の最後尾には「本日の販売は終了しました」看板を持った警備員の人が…
すぐに諦めました。
ただ、そのまま帰るのも悔しいので店内を少し散策しようと中に入ると、1階から2回にかけて人の壁が…
外に見えた大行列はほんの一部だったようで、自分の甘さを痛感して完全に諦めがつきました。

自分の手には入らないとなると悔しいもので批判的な感情が湧いてきます。
朝から並ばせるなんて東京駅SUICAの教訓が活きていないんじゃないの?皆に等しく権利があるはずなのにお年寄りや体の悪い人にこの行列は無理だろ、実質平等に機会が得られないような政策は愚策だ。そもそも税金投入による消費刺激策ということなのでしょうが、生活費の足しにされるだけじゃないの?などなど…

まあ愚痴です。
でも税金使ってやるのならやっぱりみんなが嬉しい政策にしてほしいとは思うのですが、買えなかった者の僻みですかね?

ということでここは考え方を変えて、次回があるなら消費する側ではなく消費してもらう側になることを考えてみようかな、と思います。
プレミアム商品券が使える塾、ちょっと新鮮な気もしますがどうですかね?

2015年6月11日木曜日

新しい何かを学ぶこと

私が子供の頃に通っていた塾には凄い先生がいました。以前に「自前ヴァーチャルノート」の話で書いた先生です。
本当に勉強の出来る先生でしたが、それはガリ勉タイプではなく好奇心旺盛な感じの人でした。
その先生は1人で小学生から高校生まで全ての科目において初見ですぐ指導できるほど優秀な人でした。そんな人だからというべきなのでしょうか、現状で満足はせず新しいことを学ぶ姿勢を忘れていませんでした。

「生徒は毎日新しいことを学んでいるのに、私がやっていることは自分の知っていることを教えているだけ。私も新しいことを学ばなければいけない。」
私にそんなことを言っていたのを覚えています。
そして気が付いたらプログラムの勉強をはじめていました。分厚い参考書を買ってきて、きちんとノートを取りながら自主学習です。ノートを見せてもらったことがありますが、趣味程度のものではなくガチ勉強で驚きました。

それにならってという訳ではないのですが、私も最近新しいことをはじめました。
半分は必要に迫られてということになりますが、半分は好奇心からです。何をはじめたかと言いますと、エクセルのマクロです。
「必要に迫られて」というのは事務作業の手間の解消のため、「好奇心から」というのはそこまで手間ではないけどマクロ使えたら面白そうじゃないかという気持ちからです。

エクセルという表計算ソフトを使っている人は多いと思いますが、自分でマクロを組んでいる人は結構少ないのではないでしょうか。一応マクロが何か分からない方のために簡単に説明すると、作業を自動化するプログラムのようなものと言えば間違ってはいないと思います。まあ人に説明できるほど分かってはいないのですけど。

まあ兎に角そんなやつをはじめたわけですが、問題は続くのかということでしょう。
ちなみにスタート時点のレベルとしてはそんなものがあるというのを知っているぐらいでほとんど何も知らない状態でした。久しぶりの0からの勉強です。
多くの方が同じだと思いうのですが、0からはじめるというのはなかなかに億劫です。どこから手をつけて良いものやら分かりません。はっきり言って面倒です。
今回のこととは別件で以前にjavaというプログラムを勉強しようとしたことがあります。教材を買ってきてそれを読みながら1からはじめました。すぐに飽きました。言い訳ですが理由ははっきりしています。勉強することを目的にして、それで何をしたいというものが無かったためやる気が沸いてこなかったこと、学び始めてからもこれが出来ると具体的に何が出来るようになるのか到達点がイメージできなかったことだと思っています。
その点で今回は違います。作りたい事務作業のファイルがあるわけです。この存在は大きかったです。具体的な目標に向かって勉強するというのは分かりやすくやる気が出ました。かなり雑な独学になってしまいましたが、あれこれ調べて少しずつ目標に近づいていくというのは楽しかったです。特に今できなかったことが1つずつ出来るようになるという感覚は久しぶりに味わった気がしますが、とても興奮するものでした。というか現在もその最中です。

講師という仕事は日々勉強だと思います。より良い教え方は無いかという試行錯誤に終わりはありません。これ自体も楽しくて苦しい作業だと思っていますが、同じものを突き詰めるという勉強と新しいものを学ぶという勉強には違う楽しさがあります。
おそらくそれはどちらもやるべき事のような気がします。特に人に何かを教える立場の者にとっては。

マクロの勉強は少しずつですが続いております。日々出来るようになることがとても楽しいです。
「新しい何かを学ぶこと」お勧めです。

ちょっと補足ですが、今回勉強をはじめて改めて気付いたことがあります。
先ほども書いたことですが、どこに向かっているのか分からない勉強は辛いという事です。学校の勉強においては仕方の無い部分もあるとは思いますが、「この勉強が何の役に立つのか分からない」と不満を述べる生徒さんたちの気持ちが改めて分かった気がしました。
どこまで出来るかは分かりませんが、そういった部分を少しでも解消してあげることをもっと考えていこうと思います。

2015年5月27日水曜日

ハガキが来たので行ってきました。

先日、1通のハガキが届きました。
内容を簡単にいうと「血液が足りないので献血に来てください」というものです。だから行ってきました。
つまり今回もまたまた献血の話です。

多少でも世の中の役に立つことをしたいと思い、献血は定期的に行こうと考えていたのですが今回は何故か決められた待機期間が半年ぐらいあったので忘れてしまっていました。そしてそんな時にハガキが来て思い出したということです。
しかしハガキが来るようになりましたか。これは常連の証と思っていいのでしょうか?頼られたと思っていいのでしょうか?そうであれば少し嬉しいです。

とまあ、そんな訳でまた行ってきました。通算6回目です。ですが注射というのは何度やってもなれないものです。
以前にも書きましたが、検査用と採血用に2回針を刺します。検査用は細めの針で採血用は太目の針です。私は刺されるところを見る派です。見るのが好きな訳ではなく、当然怖いです。針を見るのも怖いのですが、いつ刺されるか分からないほうがずっと怖いので消去法から見ることにしています。毎回ドキドキします。やっぱり今回もドキドキしました。
それでもやはり慣れたのでしょうか、指示される前に腕を出して準備万端、スムーズに採血できました。

ドリンクは飲み放題で飴玉なども食べ放題、そして今日はアイスのサービス付きと有り難い感じです。マンガもいっぱい置いてあり採血後は休憩を強く勧められるのでゆったり休んで帰れば良いのですが、やること終わった後にあまりのんびりするのはどうにも気が引けてしまいます。
折角もらえるのでドリンクは飲みますし(採血前後で水分補給は強く勧められます)、アイスも食べます。しかし貰えるからとは言え、何人ものおじさん(私を含む)が集団でアイスを食べている姿は何ともいえない不思議な光景だと毎回思います。

そして最後にお土産をもらって帰る。今回は洗剤でした。
ちなみに以前もらったものでお気に入りはボールペンです。献血センターの名前とマスコットキャラが白地に赤でプリントされた普通のボールペンです。私は当然のごとく赤インクだと思い込んで使ったのですが黒インクだったのでちょっと残念な気がしたのを覚えています。献血のお土産な訳ですから赤が良いと思うのですがどうですかね?でも品物は意外とちゃんとしていたので今でも重宝しています。
出来れば今後、献血のお土産らしい遊び心のあるお土産を考えていただきたいのですが、贅沢でしょうか?全然高いものででなくて良いんです、どうせ貰えるのならというぐらいのことなんですけどね。

まあ、そんなこんなで今回の献血も無事終わりました。
次は8月です。

2015年5月7日木曜日

いよいよ本格始動!でしょうか?

4月からはじまった新学期ですが、変化してすぐというのは落ち着かないものだと思います。
とくに新入生は不安や期待や不慣れもあり、なかなか落ち着いて勉強とはいかない様に毎年感じます。そして少し慣れるかどうかのタイミングで大型連休、なかなか集中できないのは分かる気がします。

ですが、休みは終わりました。祝日ももう当分ありません。さあ日常を開始しましょう!

とか偉そうに言っていますが実はこれ、自分自身に向けた言葉でもあるのです。
世の人ほど長い休みはありませんでしたが、久々に連休は取れました。家の用事とかもありましたが、はっきり言ってだらけておりました。一度だらけてしまうと日常に戻るのはやはり少し億劫です。自分自身を奮い立たせる必要があります。

私はその方法として「やる気のある振り」をします。今やったようなことです。
特に生徒さんの前では心がけてそうします。そうすると不思議と自分に元気が出てくるのです。そんな気がします。

何かこう書くとやる気の無い人間に見えてしまいそうで心配ですが、まあ普通です。普通に気の乗らない時だってあります。ただ、それに流されなければ良いのだと思います。

ということで5月の始まりです。
一緒に頑張りましょう!

2015年4月23日木曜日

成功談と失敗談

先日テレビで「しくじり先生」なる番組がやっていました。
深夜では以前からやっていたようなのですが、全く知らずゴールデン進出ということで目に留まりました。そしてCMを見るとその先生役で元ライブドア社長の堀江貴文氏が出てくるとの事、ちょっと興味がわいてきて見てみた訳です。

面白かったです。

人の経験談というのは大体2通りだと思います。成功談か失敗談。私は失敗談の方が好きです。別に失敗した人を笑いものにしたいという訳ではなく、参考になると思うからです。もちろん成功談も参考になるとは思いますが、時々見ていても何が本質的にポイントだったのか分からないときがあります。どう考えても運が良かっただけのように感じたり、語られたことだけでは足りないと感じたりすることがよくあるのです。
もちろん失敗談でも同じことは言えますが、何故か私は失敗談の方がその理由が分かりやすく感じます。好みの問題なのでしょうか?

ただ、私が一番違いを感じるのは説得力です。まあ、これも好みかもしれませんが、自分の失敗ときちんと向き合い、分析して人に語れるということに凄さを感じてしまいます。そして痛みから学んだ教訓には重みがあります。加えて失敗から立ち上がる様には力強さがあります。

景気の良いトントン拍子の話ではなく、じんわり染みる少々悲しい話を参考にして自分を見直すのも価値のあることではないでしょうか。

そうは言っても自分が失敗談を語る立場にはなりたくないものです。
そうならないよう頑張ります。

2015年3月19日木曜日

合格実績の公表について思うこと。

塾のチラシなどを見ていると「○○学校 □□人 合格」といった内容を良く見かける気がします。
良い学校に何人も合格している良い塾だというアピールなのでしょうか。まあ宣伝における常套手段なのでしょう。

ですが私はそれがあまり好きではありません。
それぞれの子がそれぞれの目標を持って進学する先に良し悪しはないと思うのに加えて、合格したのは本人の実績であって塾の実績ではないようにも感じるからです。

保護者の方々は合格実績から塾の指導力が分かると考えられているのかもしれませんが、塾の内側を見ているものとしては一概にそうも言えないというのが素直な気持ちです。

あまり他人のことを悪く言うのは品がないと思いますし自分が一番優秀だと思っているわけでもありませんが、それでも酷いと言わざるを得ないと感じた講師はいます。そしてそんな講師が淘汰されずに自信満々で指導を続けているということは普通にあります。
ここら辺の内情を詳しく話すのは今回の趣旨ではないので止めておきますが、そういった経験則からも合格実績と塾の指導力は一致するとは限らないと感じる次第です。

では皆さんが気になる指導力はどこで測れば良いのでしょうか?
残念ながらそれに対する明確な答えを今の私は持っていません。

今いえるのは直接会って話をして感じた印象を大切にする方が良い、ということぐらいでしょうか。
ですがいつまでもそれだけではあんまりですので、何か考えるつもりです。
外から見て私達を知ってもらうこと、それはこれからの塾にとって大切なものになってくると思います。
頑張らなければ。

2015年3月12日木曜日

やっと1年が終わった気分です。

今日は福井県立高校の合格発表の日です。
2次試験というものもありますが、多くの福井の子はここで受験が終わります。
この日は大晦日よりも何よりも「1年が終わった」という気分になります。

合格実績などを述べるのはあまり好みではないので控えさせていただきますが、取り敢えず今は一息ついた感じです。
そして一息つくとすぐに次が始まります。というより同時並行で色々と動いているので実は何も終わっていない訳で、いわゆる一つの気分的な区切りでしかないのですけどね。
でも区切りをつけるのは大切な気がします。気分を引き締めなおす切欠になりますから。

と言うわけで今日は大晦日であると同時に元日だったという話でした。

2015年3月5日木曜日

福井県立高校入試本番、どうやったら緊張しない?

本日は福井県立高校の入試初日です。この後にも2次試験など残ってはいますが、福井の多くの子はここで受験が終わります。

今日、本番の舞台に臨んだ生徒さんたちはどんな気持ちだったのでしょうか。自分の時のことは遥か昔、追憶の彼方に消えそうですがそれでも緊張していたことは覚えています。

入試前に生徒さんからよく質問されるのは「どうすれば緊張しないですか?」といったことです。これには毎回困ってしまいます。なぜなら私自身が緊張しいだからです。そんな方法があるなら教えてほしいのは私自身です。
それでも何とか考えて色々と話をしていました。
「自分のやってきたことを信じて」とか「失敗したって死ぬわけではないから」とか考えられるだけ緊張しない方法を考えて話してきました。中にはそれで納得してくれる子もいますが、だいたいは気休め程度にでもなれたかどうかだったと思います。
どれも間違っていたとは思いませんが、そんなことは分かっているといったところでしょう。

色々考えても良い答えが見つからなかった私ですがいつの頃からでしょうか、言うことがちょっと変わっていきました。
「緊張はするものだ、仕方ない」
緊張しないようにしないようにと考えると余計に緊張してしまうもの、いっそのこと受け止めてしまった方が良いのではないかということです。

そもそも緊張とは何か?
不確かな私の記憶によると、防衛反応の一種だということです。
危険な敵に直面したとき、急激に心拍を上げることで素早く行動が取れるようになるとか。血流が上がるということは脳も活性化するのではないかと思うのですがどうなのでしょうか。そうであるならば適度な緊張はむしろ好都合ということになるはずです。まあ、正確なところは知らないのですが、緊張することは悪いことではないと思っておくだけでも損はないと考えます。

それに緊張するということは頑張ってきた証なのです。
努力したからこそ失敗しないか不安になるもの、はじめから何もなければ緊張もないのではないでしょうか。だから緊張している自分を誇りに思ってください。
(まあ、たまには余裕過ぎて緊張とは無縁という人もいるかも知れませんが。)

なんやかんや言ってきましたが結局何が言いたいのかというと、緊張しない方法はありません。受け止めましょう。以上です。

相変わらず役に立たない内容のような気もしますが、講師のつぶやきですのでご了承いただければ幸いです。

2015年2月28日土曜日

暖かくなってくると花粉の季節

今年もやってきてしまいました、この季節。
雪が融けて暖かくなってくるのは嬉しいのですが、気持ちの良い季節を迎える前には苦痛の時期が待っています。
花粉です。

どういう訳かは分からないのですが、年によって目が酷かったり鼻が酷かったりと微妙に症状が違います。今年はどうも目が特に酷いようです。
昔は春になるのが嬉しかったのですが、今では春先が一番憂鬱な季節になってしまいました。

しかし、目がかゆいとか鼻がムズムズするとかは全くもって命に関わる苦痛ではないわけです。花粉症でない人からすれば我慢すれば良いぐらいに思われてしまうのかもしれませんが、なってみると辛いものです。
そして花粉症が終わるといつも思います。
「普通にすごせるって有り難い」
大げさですが多少でも体に難があると、何も無いことの有り難さがよく分かります。
花粉症は如何ともし難いですが、普段の不摂生を少し反省するのが私にとっての恒例行事となっている次第です。
まあ、すぐ忘れてしまうのも恒例なのですけど。

2015年2月12日木曜日

情報は集められるだけ集めるのが吉?

塾にとって生徒さんが増えるということは一つに入ってくる情報が増えることに繋がります。
生徒さんにはまず「テスト範囲」と「テスト」は全て持ってきてくれるようお願いします。生徒さんを知る大切な情報集めです。他にも学校で使っているワークを見せてもらったり、プリントを見せてもらったりと集められる情報は何でも集めたいというのが本音です。
集まった情報から分かることは様々です。その利用の仕方こそ利用者の腕の見せ所な訳ですから、必ず生きるとは言えませんが何も無くては利用することも出来ないのでやはり多いに越したことはないでしょう。
なので手に入る情報は出来る限り収集しますが、時には思いもかけない情報を持ってきてくれる子もいます。以前、持ってきてくれたので取り敢えず収集したけれど何に使えば良いか分からなかったのが「給食の献立表」です。何でも持ってきてと言ってはいますが、まさか献立表を持ってくる子がいるとは思いませんでした。でもまあ面白かったので良いんですけど、私の腕ではこれを上手く利用することは出来なかったのが残念です。

ちなみに私達の塾は福井市の明倫中学校の学区内にあります。ですので当然と明倫中学校の生徒さんの比率が高くなり、明倫中学校の情報が一番集まりやすくなります。そうするとやはり予想していなかった情報を持ってきてくれる子も現れるわけです。
先日、明倫中学校の生徒さんが見せてくれたのは「学校教員の紹介プリント」でした。写真付きコメント付きでカラーの立派なプリントです。これも使い道は分からなかったのですが、面白いので見ていると知った顔が…
なんと私の中学時代の社会科の先生がいたのです。しかも校長先生になっていました。
以前、別の中学校で校長先生をやっているとは聞いていたのですが、まさかこんな近くに移っていたとは思いませんでした。
まあ冷静に考えるとそれほど驚くことではないのですが、思ってもいなかったところでしかも結構近くで今も現役として活躍しているのだと思ったら妙にテンションが上がってしまいました。そして勝手に少しやる気をもらった気分でした。

情報は何に役に立つのか分かりません。集めておいて損はないものだと改めて感じた次第です。
(はたして役に立ったと言えるのかは議論の余地があるところかとは思いますが…)

2015年2月5日木曜日

大人の定義(雪国編)

だいぶ過ぎてしまいましたが、先月は成人式がありました。
この時期になると新成人が騒いだ話などと絡めて「大人とは?」のようなことがよく話題になるかと思います。少年法の問題や選挙権の年齢引き下げなどの議論もどこから大人と考えるかで変わってくる難しい問題だと思います。

そこで私も少し考えてみました。そして1つの結論が出ました。

ズバリこれです。
「雪が降って(積もって)嬉しくなくなったら大人」

いかがでしょうか?
福井も一応雪国です。本場に比べれば大したことはないのかも知れませんが、それでも降るときはそこそこ降ります。そこで長年生活をしてきた私としましては自身の感情があるときから大きく変化したことを感じます。それがまさに雪に対する感情なのです。

当然のごとく幼い頃は雪が降るのが楽しみで、降ったら無駄にテンションが上がりました。寒さも気にせず雪の中に飛び出していったものです。
それが今はどうでしょう。天気予報で雪の予報を見るだけでテンションが下がってしまいます。そして積もってしまった日にはもう最悪です。

まず雪が降ると道が混みます。車通勤では無駄に時間を取られますし、仕事に遅れるわけにもいかないので通常よりも朝早く起きる必要も出てきます。そして雪道の運転は疲れます。除雪車が入っていても路肩によけた雪が残るため道幅は狭くなり、路面も滑りやすくなります。シーズン最初の大雪では大抵通勤の間に交通事故現場を見かけるものです。さらに雪かきもしなければなりません。これは本当に重労働です。福井の雪は湿り気が多くとても重たいのが特徴です。それを家の前から雪が捨てれる側溝などまで持っていく、1時間ぐらいでは終わらないものです。何とかやり終えた次の日は激しい全身の筋肉痛に襲われるのが定番です。

ざっと挙げただけでも雪は以上のような面倒ごとをつれてきます。とても喜ぶ気持ちになれないのは分かっていただけるのではないでしょうか。

子供の頃には心待ちにしていた雪が大人になると厄介ごとでしかなくなる。
つまりこういうことではないでしょうか。
子供の頃は雪で学校に行くのが遅れたってさほど気にしません。雪かきの義務もありません。遊び道具が降ってきたぐらいのものです。ですが大人になると雪だからといってそうそう仕事に遅れるわけにもいきません。ご近所さんの迷惑にもなりますから自分の家だけ雪かきをしないわけにもいきません。
そう、雪は大人に責任を積もらせていくのです。
ですから雪を見て「嫌だ」と思うというのは「責任」を感じているということだと考えます。

雪を見て責任を感じるようになる、これが大人の証なのです。

以上、私の仮説でした。いかがでしたでしょうか?
半分冗談、半分本気です。

2015年1月29日木曜日

来週は私立高校の入試です

福井の高校事情は都会とは違うようで選択幅が非常に狭いです。
あまり都会の事情に詳しいわけではないのですが、当然ながら福井は田舎のため人口も少なく、学校の数も少ないです。仕方の無いことですけど、それはチャンスが少なくなることであり辛い問題です。
チャンスが少ないと言う意味で一番気になるのは私立高校の入試です。何故なんでしょう?福井では全ての私立高校の入試日が同じ日にあります。そのため、私立高校を複数受験することが不可能なのです。

私がよく知らないだけで、福井以外でもそんなものなのでしょうか?色々と事情はあるのかもしれませんが、私にはどうしても意地悪しているように感じてしまいます。

そんな訳で福井の高校入試は主に2回となります。
2月の私立高校入試と3月の県立高校入試です。(推薦や国立、2次募集も含めるとまだありますが)塾で教えている人間にとって最もソワソワする年に2回の一大事です。
そしてその1つの私立高校入試がついに来週です。早く終わってほしいような、もう少し待ってほしいような何とも複雑な気分ですが、ギリギリに迫った今としては受験に臨む皆が万全の体調でその日を迎えられることを一番に願っています。

頑張ったら全員合格、とはいかないのが現実ですので安易に大丈夫などとは言えませんが、少なくとも自分の持てる力を出し切ったと思える受験であればいいなと思います。
そして高校受験は終わりではありません、どんな結果になろうとも次に繋げていってほしいものです。
大人になった今だから言えることかも知れませんけど、焦らず落ち着いていきましょう。

2015年1月22日木曜日

新年お年玉クイズ(?)解答編

前回、年賀状に問題をつけて生徒さんに送ったと言う話を書きました。そしてその問題をここにも載せさせてもらいました。
今回はその答えについてです。なのでもし解答編から読まれている方がいましたが、先に出題編を見てください。(どれだけいるか分からない読者に向かってこう呼びかけるのは恥ずかしくもありますが、気にしない)

ちなみに解けましたか?
なお、素因数分解という言葉を使わなかったので解答は複数存在します。一応、どの解答でも正解としましたが本当にやってほしかったのは素因数分解です。

ということでまずは別解の方から。
『2015=1×1×2015』
出題の条件からするとこれもありです。実際にこれを答えとして持ってきてくれた子もいました。ある意味、柔軟な発想と言っても良いのかもしれません。ちゃんと条件を満たしている訳ですから。
条件をしっかり理解して解くことはとても大切なので、この答えは意外と馬鹿に出来ないのではと思います。
なおもうちょっと頑張って
『2015=1×5×403』
というのもありました。もちろんありです。
他にはこれらを負の数混じりで作るのもありです。そんな感じで複数の解答を持ってきてくれた子もいました。答えが一つとは限りません、とても良いことだと思います。

ですがまあ、本当に求めていた答えはこれです。
『2015=5×13×31』
解けましたでしょうか?

ちょっといやらしい問題ともいえますが、クイズとしてならありではないでしょうか。
難度も低すぎず高すぎず、ほどほどに面倒臭いけど一応小学生でも解答可能で、手間は小学生でも高校生でも大差ないという問題だと思います。
まあ、今年2015年が何気に綺麗な数字だったという偶然なんですけど。

ちなみにこの答えをしっかり出してきてくれた子も結構いました。よく頑張ったと思います。まあ、解くには頑張ってみるしかないわけですから。

新年は授業のはじめにこの話を少ししてからスタートとなりました。
「403が半素数で暗号技術に使われているんだよ」なんて話も出来ました。403の割り算で苦労してくれた子にはその雰囲気が伝わったのではないでしょうか。
実感できる数学も目指していきたいところなので良い授業のスタートになったと自画自賛しております。

といったところで今更ではありますが、さあ今年も頑張りますか。

2015年1月14日水曜日

新年お年玉クイズ(?)出題編

今年は生徒さんに塾から年賀状を送ることにしました。
実は今まで送ったことがありませんでした。年末年始はもう入試一色になってきており忙しくて時間がないという言い訳と、誰も塾からの年賀状など喜ばないのではないかというネガティブな理由からです。お恥ずかしい。
それなのに何故今回は送ることにしたのかと言うと、よく分かりません。講師との話の流れでそんな風に決まったのです。これまたお恥ずかしい話です。

ですがまあ、そんなことは置いておいて送るとなったからにはどんな年賀状が良いかということです。折角送るのに形だけの仕事年賀状ではそれこそ誰も喜ばないでしょうし、こちらもやっていて面白くありません。喜んでもらえるとまではいかなくとも、多少目に留まるものにしたいと考えました。

結果、決まったのは塾らしく問題を載せた年賀状にするということです。
そう決まったのは良いのですが、その問題が問題でした。生徒さんである小学生から高校生までが同じように取り組めるようなものにしたかったからです。何種類か作ればいいという話もありますが、何かスマートじゃない気がして。

悩んだ末に出来たのが下記のようなものです。

『2015=□×□×□
 □を整数で埋めてください。』

いかがでしょうか?本当は「素因数分解して」と言いたかったのですが、そうすると中3以上しか解けなくなってしまうのでこうなりました。
塾のクイズとしてはなかなかの良い問題だと自画自賛しています。

ちなみに生徒さんは意外とみんな挑戦してみてくれていました。嬉しいことです。問題に興味を持ってくれたのか、はたまた問題の続きに書いた『正解者にはお菓子をプレゼント』が効いたのかは分かりませんが…。

ところで、この記事を読んでいる方、ちょっと解いてみてはいかがでしょう?
答えは次回と言うことで。
(引っ張るほどの内容では無いのですけどね…)

2015年1月7日水曜日

年が明けるといよいよという気になります

ちょっと遅いですが新年明けましておめでとうございます。
さて、年が明けたわけですがこの仕事をしているとおめでたい気持ちよりも緊張感の方が強く感じてしまいます。だって入試はもう目の前ですから。

センター試験なんかは目の前よりも近い感じさえしてしまいます。
ですがどんなに気を引き締めてみても私が最終的に出来ることは何もありません。生徒さん一人ひとりが自分で頑張るしかないわけです。

自分ではない誰かの結果を待つというのは予想以上に苦しいことでした。講師をはじめてから強く実感したことです。ですが、やっぱり一番大変なのが本人にかわりないわけで、私が泣き言いっていては仕方がないと反省します。

何はともあれ試験という意味では頑張れる期間に制限があるわけで、それもあと少し。私は私に出来ることを頑張りますので皆さんも体に気をつけてこの試練を乗り切りましょう。