2015年11月11日水曜日

乱れた日本語?

前回、「日本語の乱れを正す!」みたいな事を書きましたが、あれは冗談ですよ。念のため。
だいたいこの書き出しから分かる通り私の日本語も乱れております。他人にものを言える立場ではありません。それに加えて私は日本語の乱れに寛容です。

以前、お正月に日本語の成り立ちを紹介する特番がやっていました。さほど興味は無かったのですが、見始めたら面白くて2~3時間あった番組を最後まで見てしまいました。
それによると今に至る日本語の成り立ちはかなりいい加減なものだというのです。
残念ながら私の記憶力では詳しく説明できませんが、雰囲気で外国語を取り入れたり誤用が定着したりといったことが多々あって今に至るそうです。

例えば「素晴らしい」という言葉ですが、元々は悪い意味の言葉だったそうです。
むかしは平仮名で「すばらしい」と書き、成り立ちの似た言葉が「みすぼらしい」です。それがいつのときか「素晴らしい」という当て字が生まれ、その雰囲気から良い意味に変わってしまったというのです。
今では良い意味で定着しており、本来の意味を持ち出したところでほとんどの人には通じないのではないでしょうか。それでは、通じない「正しい意味」というのは本当に正しいと言えるのでしょうか?

言葉とは人と人が意思を伝える手段なのです。形にだけ拘る(「拘る」も元々は悪い意味を含んでいました)ことが大切なのではなく、柔軟に変化することこそが言葉に必要な能力のように思います。

そういう意味で「日本語」はとても素晴らしいと思っています。漢字、カタカナ、ひらがな、時にはアルファベットまで普通に混ぜて使い、外来語も簡単に受け入れる。新語や略語が次々生まれても案外すぐに馴染んでしまう。他の言語に詳しくはありませんが、かなり寛容な言葉な気がします。

そして寛容ということであれば、いわゆる「正しい日本語」を大切にしている人がいることも良い事なのだと思います。双方が常にゴチャゴチャと揉めながら進化していくことが正しいあり方なのではないかと考えます。

出来ることならば揉める余地があるように、「そんな日本語は駄目!」と直ぐに切り捨ててしまわず一考してみてはいかがでしょうか。その方がきっと面白いと思います。

まあ、偉そうに語ってしまいましたが私も若いとは言いづらい歳になり、最近の若者言葉に「ちょっと待て!」と思うことが増えてきてしまっているのですけれどね。