2015年2月28日土曜日

暖かくなってくると花粉の季節

今年もやってきてしまいました、この季節。
雪が融けて暖かくなってくるのは嬉しいのですが、気持ちの良い季節を迎える前には苦痛の時期が待っています。
花粉です。

どういう訳かは分からないのですが、年によって目が酷かったり鼻が酷かったりと微妙に症状が違います。今年はどうも目が特に酷いようです。
昔は春になるのが嬉しかったのですが、今では春先が一番憂鬱な季節になってしまいました。

しかし、目がかゆいとか鼻がムズムズするとかは全くもって命に関わる苦痛ではないわけです。花粉症でない人からすれば我慢すれば良いぐらいに思われてしまうのかもしれませんが、なってみると辛いものです。
そして花粉症が終わるといつも思います。
「普通にすごせるって有り難い」
大げさですが多少でも体に難があると、何も無いことの有り難さがよく分かります。
花粉症は如何ともし難いですが、普段の不摂生を少し反省するのが私にとっての恒例行事となっている次第です。
まあ、すぐ忘れてしまうのも恒例なのですけど。

2015年2月12日木曜日

情報は集められるだけ集めるのが吉?

塾にとって生徒さんが増えるということは一つに入ってくる情報が増えることに繋がります。
生徒さんにはまず「テスト範囲」と「テスト」は全て持ってきてくれるようお願いします。生徒さんを知る大切な情報集めです。他にも学校で使っているワークを見せてもらったり、プリントを見せてもらったりと集められる情報は何でも集めたいというのが本音です。
集まった情報から分かることは様々です。その利用の仕方こそ利用者の腕の見せ所な訳ですから、必ず生きるとは言えませんが何も無くては利用することも出来ないのでやはり多いに越したことはないでしょう。
なので手に入る情報は出来る限り収集しますが、時には思いもかけない情報を持ってきてくれる子もいます。以前、持ってきてくれたので取り敢えず収集したけれど何に使えば良いか分からなかったのが「給食の献立表」です。何でも持ってきてと言ってはいますが、まさか献立表を持ってくる子がいるとは思いませんでした。でもまあ面白かったので良いんですけど、私の腕ではこれを上手く利用することは出来なかったのが残念です。

ちなみに私達の塾は福井市の明倫中学校の学区内にあります。ですので当然と明倫中学校の生徒さんの比率が高くなり、明倫中学校の情報が一番集まりやすくなります。そうするとやはり予想していなかった情報を持ってきてくれる子も現れるわけです。
先日、明倫中学校の生徒さんが見せてくれたのは「学校教員の紹介プリント」でした。写真付きコメント付きでカラーの立派なプリントです。これも使い道は分からなかったのですが、面白いので見ていると知った顔が…
なんと私の中学時代の社会科の先生がいたのです。しかも校長先生になっていました。
以前、別の中学校で校長先生をやっているとは聞いていたのですが、まさかこんな近くに移っていたとは思いませんでした。
まあ冷静に考えるとそれほど驚くことではないのですが、思ってもいなかったところでしかも結構近くで今も現役として活躍しているのだと思ったら妙にテンションが上がってしまいました。そして勝手に少しやる気をもらった気分でした。

情報は何に役に立つのか分かりません。集めておいて損はないものだと改めて感じた次第です。
(はたして役に立ったと言えるのかは議論の余地があるところかとは思いますが…)

2015年2月5日木曜日

大人の定義(雪国編)

だいぶ過ぎてしまいましたが、先月は成人式がありました。
この時期になると新成人が騒いだ話などと絡めて「大人とは?」のようなことがよく話題になるかと思います。少年法の問題や選挙権の年齢引き下げなどの議論もどこから大人と考えるかで変わってくる難しい問題だと思います。

そこで私も少し考えてみました。そして1つの結論が出ました。

ズバリこれです。
「雪が降って(積もって)嬉しくなくなったら大人」

いかがでしょうか?
福井も一応雪国です。本場に比べれば大したことはないのかも知れませんが、それでも降るときはそこそこ降ります。そこで長年生活をしてきた私としましては自身の感情があるときから大きく変化したことを感じます。それがまさに雪に対する感情なのです。

当然のごとく幼い頃は雪が降るのが楽しみで、降ったら無駄にテンションが上がりました。寒さも気にせず雪の中に飛び出していったものです。
それが今はどうでしょう。天気予報で雪の予報を見るだけでテンションが下がってしまいます。そして積もってしまった日にはもう最悪です。

まず雪が降ると道が混みます。車通勤では無駄に時間を取られますし、仕事に遅れるわけにもいかないので通常よりも朝早く起きる必要も出てきます。そして雪道の運転は疲れます。除雪車が入っていても路肩によけた雪が残るため道幅は狭くなり、路面も滑りやすくなります。シーズン最初の大雪では大抵通勤の間に交通事故現場を見かけるものです。さらに雪かきもしなければなりません。これは本当に重労働です。福井の雪は湿り気が多くとても重たいのが特徴です。それを家の前から雪が捨てれる側溝などまで持っていく、1時間ぐらいでは終わらないものです。何とかやり終えた次の日は激しい全身の筋肉痛に襲われるのが定番です。

ざっと挙げただけでも雪は以上のような面倒ごとをつれてきます。とても喜ぶ気持ちになれないのは分かっていただけるのではないでしょうか。

子供の頃には心待ちにしていた雪が大人になると厄介ごとでしかなくなる。
つまりこういうことではないでしょうか。
子供の頃は雪で学校に行くのが遅れたってさほど気にしません。雪かきの義務もありません。遊び道具が降ってきたぐらいのものです。ですが大人になると雪だからといってそうそう仕事に遅れるわけにもいきません。ご近所さんの迷惑にもなりますから自分の家だけ雪かきをしないわけにもいきません。
そう、雪は大人に責任を積もらせていくのです。
ですから雪を見て「嫌だ」と思うというのは「責任」を感じているということだと考えます。

雪を見て責任を感じるようになる、これが大人の証なのです。

以上、私の仮説でした。いかがでしたでしょうか?
半分冗談、半分本気です。