2013年9月26日木曜日

「お早うございます」についての考察

相変わらず思いつくままに書くブログで塾と関係の無いものが多いのですが、今回もやっぱりそうです。

以前、芸能界では何時に会っても「お早う」だという話を聞いたときに父親と何故だろう?という話をしたことがあります。
テレビの説明では芸能界の仕事は時間が不規則なので常に「お早う」で統一しているということだったのですが、あまりしっくりこなかったからです。

それではここからその理由の考察です。
日々顔をあわせる人同士の挨拶としては「お早う」「今日は」「今晩は」が一般的だと思います。そしてそれは時間帯によって使い分けるものです。
実際にご近所さんに会ったときにはこれらを使い分けています。間違っても夜に「お早う」などとは言いません。うっかり言ってしまえば夜まで寝ていたと勘違いされてしまいそうですし。

ではどんな場面で「お早う」に統一されることが多いのでしょうか。私がまず思い浮かぶのは職場です。
昔していた飲食店のバイトでの挨拶は「お早う」ではっきりと統一されており、何時に店に入っても「お早う」でした。他にもいくつかの職場を経験し中ではルール化されているかどうかの違いはありますが、その多くで挨拶は「お早う」を使っていたと記憶しています。

次に考えるのは「お早う」という言葉の特徴です。言い方を変えれば「今日は」や「今晩は」との違いでしょうか。これは敬語に出来るかどうかだと思います。「お早う」は「お早うございます」と丁寧に出来ますが、「今日はでございます」とか「今晩はです」などとは普通言いません。地域によっては「お今晩は」などと少し丁寧なような言い方をすることもあるようですが、特殊な例だと考えます。

さあ、この2点から考えられることは何か?
私は『上下関係を明確にしたい場面で使われる挨拶が「お早う」である』と考えます。

職場での挨拶風景を思い出してみると明確です。役職の低いものが「お早うございます」と言い、上役が「お早う」と返します。社長であればどんな場面でも「お早う」で通りますが、中間管理者は大変です。上司には「お早うございます」と言い、部下には「お早う」と使い分けが必要です。同じ役職といっても安心は出来ません。先輩なのか後輩なのかによっての使い分けが必要です。とても面倒に見えますが多くの場面でこの法則は当たり前に使われています。

ほとんどの人は無意識に使い分けているのかもしれませんが、常に無意識の中で上下関係を値踏みしているとも言えます。そして上の者は下の者に対しては常に自分が上位であると刷り込んでいる訳です。

外国ではどうなんですかね?よく知らないのですが敬語自体あるのでしょうか?
それはともかくとしても何となく日本らしい気がします。能力ではなく年功序列がいまなお多くの場面で生きている日本では上位の者が下位の者より劣るということもあるわけで、そんな中でも自分の立場を守らなければなりません。挨拶は毎日するものですから、そこで常に上下関係を見せ付けることは無意識下においてかなり有効な気がします。良く出来たシステムです。

別にそれが悪いことだと言いたいわけではありません。もちろんこの考察が正解というわけでもありませんし。
ただ何となく嫌だなと感じました。

そこで気になるのが自分は今までどうだったかです。無意識にやっているので明確には思い出せませんが、親しい友人以外では誰に対しても「お早うございます」でほぼ統一されていた気がします。
これは無意識に上下関係を決めないようにしていたのか、誰に対しても自分のほうが下だと思っていたのか、どっちだったんでしょうかね?

2013年9月19日木曜日

体育会系優秀説?

はじめに言っておきますが今回の話は半分冗談ですので真剣に受け止めすぎないよう宜しくお願いします。

さてまだまだ若輩者な私ですが、それでもこれまでにそれなりの人数のお子さんを見てきました。
色々な性格の子がいて、得意なこともそれぞれです。元気のいい子や人見知りな子、几帳面な子に大雑把な子と形容の仕方はいくつもありますが、本当は簡単に一纏めに出来ない多くの要素を1人ひとりの子が持っていると感じています。

ですので「○○タイプのお子さんは・・・」という言い方は乱暴すぎて本来するべきではないと考えていますが、一つ感じることがあります。
それを一言で表すなら「体育会系優秀説」です。
もう少し詳しく言うと「スポーツに真剣に取り組んできたお子さんは成績が伸びやすい」ということなのです。

もちろん全てがこの限りではありませんし、正確にデータを取って調べたわけでもなく単なる私の感覚ですのでご了承ください。ですが他の講師と話していても同じようなことを感じている人がいるのも事実です。

それではこの説の信憑性を検証してみたいと思います。

体育会系の子に持つ印象として一番大きいのは「我慢強い」ということです。
具体的には第一に授業時間の最後まできちんと座っていることの出来る子が多いです。当たり前のことだと思うかもしれませんが、意外に難しいのです。特に中学生ぐらいだと芯学塾では学校の50分授業よりもながい80分授業でやっていますのでやはりはじめは少し辛いようです。その中で最後まできちんと座っているというのは立派なことなのです。
これは真剣に取り組んでいるスポーツの現場の厳しい環境で我慢することを学んできた成果だと考えます。

また学習においても例えば数学を教えるときに、私はまず計算をみっちりやります。これが大切だと考えているのでとても大事にしているのですが、あまりクリエイティブな作業とは言い難くとにかく反復ですので正直あまり面白くありません。加えて基礎トレですので効果が出るのには時間も結構かかります。なのでなかなかこれに耐えられないお子さんもいますが、体育会系の子は比較的黙々とやってくれます。
これは体育会系の子がこれまでの経験から基礎トレの大切さを知っているからだと考えます。そしてその苦労に耐えてきた実績も持っていると思われます。

さらには指示に対しては比較的素直に従います。
これは宿題の達成度からも見ることが出来ますが、きちんとこなしてくることが多いです。
そして実際に問題を解く段階においてもいえます。出来ない問題を解けるようにするため、やり方、書き方、手順、考え方などの指導をしていくのですが、中には基本を習得せずに我流を貫こうとする子もいます。我流が必ず悪いとは思いませんが、基本が出来ていない段階の我流は間違いでしかないことが多いです。言い方を変えれば間違った我流をやっているので正しい方法を指導しているのですがなかなか言う通りにやってくれないことはよくあります。ですが体育会系の子はそこが違います。まず指示通りに取り組みます。上手くできないことはあってもやろうとします。
おそらくこれもスポーツの場面で指導者に従うことが身に付いているからではないかと考えます。

以上の内容を総合すると体育会系の子はこちらが提案するベストな学習を実現しやすいということが考えられます。よって成績も伸びやすいのです。

というわけで今回の話はいかがだったでしょうか。
結論から見ると我慢できる子かどうかということが大切なように感じます。そしてその我慢を養成してくれる一因にスポーツがあるのではないかといった感じでしょうか。

最後になりますがもちろん全てがこの限りではありません。体育会系でない子がダメだなどとは全く思っていませんし、体育会系の子で我慢できない子もいます。まあ一つの思考ゲームから生まれた極論だと思ってください。色々と思考してみるのは面白い遊びですので、それをやってみたと言うだけの話でした。

繰り返しになりますが半分冗談で書きましたのでそのつもりでお願いします。

2013年9月12日木曜日

私たちの塾では講師がお子様に質問します

以前に「質問をすることが大切」といった趣旨の内容を書いたことがあります。
このときに言っていたのはお子様が自分の分からないことを講師に質問することでした。それが大切なのは勿論ですが、それが難しいことも事実です。
そこで大事になると考えるのが講師がお子様に質問するということです。

授業では新しいことを教える場面も多々あります。ですが大切なのは習ったことがきちんと理解できているか、正しく使えているかです。
なので私の授業では答えあわせが一番大切です。そしてそこでは間違えたものに限らず正解したものも出来るだけ確認します。

どういうことなのか数学を例にしてみます。

まず間違えた問題ですが、この見直しが大切なのは当然と理解してもらえるかと思います。ですがこれも解き方を教えればいいというものではありません。
何が分からなかったのか、何に困ったのかを考えてもらいます。分からないポイントは様々で他人が簡単に見抜けるものではないので、自分で考えてもらうのです。ですが自分自身でも何が分からないかはなかなか明確に出来ないことがよくあります。問題の意味が分からないのか、問われていることが分からないのか、解き方が分からないのか、計算が出来ないだけなのか、これを認識してもらう為に1つひとつ質問をしていきます。「問題の内容を教えて」、「何を答えれば良いの?」、「問題内容を図に描ける?」、「答えの単位は?」、「この文字式の意味することは何?」などなど。
そうすると、時には単純に漢字が読めなかっただけということもありますし、もうほとんど答えが出ている場合もあります。
大事なのは自分が何に困ったか気付き、それが解消されることです。
ただ解法を知るのではその問題が解けるだけで、類題は解けないということが良くあります。それは解法を聞いて分かった気になっただけで、自身の問題が解決していないからです。
私達が目指すのは『その1問』が解けることではなく、『その種類の問題』が解けることです。そのために講師はお子様の理解度を測るための質問をします。そしてそこから自分でも自身の理解を認識してもらいます。そうすることで単なる解法ではなく考え方が身に付いていくのです。

また正解した問題も見直しは大切です。
これはたまたま正解した、パターンで解けてしまったなどということがあるからです。
内容は間違っているのにたまたま答えだけ正解しているというのは一番困ります。しかしただ答えあわせだけしている時、特にお子様が1人で答えあわせをした時などは見過ごされてしまうことが良くあります。結局のところ出来ていないわけですので放置されてしまうととても危険です。
パターンで解けてしまっているものについては必ずしも悪いわけではありません。ですがこの場合は応用問題になるとだいたい通用しなくなってしまいます。なのでどうやって解いたか確認することはとても大切です。そのため私は出来た問題についても間違えた問題と同じような質問をよくします。方程式であればそれぞれの項の意味から式全体の意味を細かく質問することはとても有効です。それにすんなり答えられれば理解していると分かりますし、答えられないのであれば何故出来たのか、無意識にどう理解していたのかを考えることで確かな力が付きます。漠然と理解していると言うのは悪くないようにも見えますが、進歩するためにはとても危険なのです。

私達が目指すのは確かな考える力の養成です。
テスト前に瞬間的な学力向上を目指すことも無いわけではありませんが、それを本来の目的とは考えていません。1つの問題が解けることではなくどう考えるかを考えてもらいます。時間はかかりますがそうすることでこそ本当の学力が付くと考えています。
なので考える方法を学んでもらう為に講師がお子様に質問をいっぱいするのです。

2013年9月6日金曜日

親知らずを抜歯してきました

本日、斜めに生えてきて痛かった左上の親知らずを抜歯してきました。
右上の親知らずを10年ほど前に抜いて以来の抜歯だったのでちょっと怖かったですが結果的には無事済みました。

そもそも歯医者さんに行くこと自体10年振りぐらいで、福井に帰ってきてからは一度も行っていなかったのでどこに行こうか迷ったのですが、知り合いがお勧めしてくれたあまり新しくない近所のところに行ってきました。

はじめて行く所は少し緊張しますが、感じの良い先生だったので取り敢えず安心しました。
久しぶりの歯医者さんなので欲張って今まで放っておいた詰め物が取れた2箇所の治療もお願いすると、まずは虫歯の治療からスタート。さっさと削って詰め直ししてくれました。1箇所は悪化していたようで型を取り次回被せるということでこの日の虫歯治療は終了です。

そしていよいよ親知らずの抜歯が始まります。
レントゲンを確認するとやはり斜めに生えてきているようで抜いたほうがいいだろうと決まりました。
口の中なので何をやっているのか見えませんが、念入りに麻酔をしてくれました。色々な角度から何箇所も注射しているのでしょうか?想像していたより手間をかけてくれている印象です。
麻酔を打ち終わると薬が効いてくるまでしばし待ち時間。
目の前には窓がありましたが残念ながら見えたのは電線と隣の家の屋根だけで、心が和む風景とはいきませんでしたが取り敢えずボーっとしていました。
しばらくして先生が
「麻酔は効いてきましたかね?」
と声をかけてきました。効いてきたか?と聞かれてもよく分かりません。それでももし効いていない状況で治療されるのは怖いので
「少し」
と曖昧に返事。
先生は様子を見る感じで器具を口の中で動かし始めました。
「どうですか?」
「ちょっと痛いです。」
確かに痛かったので用心してそう伝えましたが、今考えるとあれは親知らずが痛かったのではなく器具の当たっていた唇が痛かったようです。
その後も先生はこちらの様子を伺いながら口の中でなにやらゴソゴソ、大丈夫だと判断したのでしょう
「効いてますね」
と告げ本当にいよいよ抜歯です。
ゴキッ!ゴキッ!
と何かが折れるような音が耳の奥で響きます。
本当に麻酔はきちんと効いていたようで痛みはありませんでしたが、耳の奥で聞こえるこの音にはやはり恐怖を感じてしまいます。ですがそれもしばしのこと、意外にさっさと終わり「あれ?もう終わり?」というような感じでした。
机を見ると今まさに抜いた歯が置かれています。
若干血にまみれており、はっきりいって汚かったです。
先生はそれを私に見せながら
「ちょっと黒くなっていますね。歯ブラシもとどき難いとこでしたし抜いて正解だったと思いますよ」
と言われました。
あとは歯科衛生士さんでしょうか、止血をしてくれて終了です。

最後に先生が痛み止めを持っているか聞いてきたので「バ○ァリンなら」と答えると少し考えて「大丈夫だと思うけど痛かったら飲んでください。もし酷いようならまた見せに来てください。」
無事終了です。

自分は口をあけていただけで何もしていないのですが、どっと疲れました。
抜いた箇所を舌で触るとポッカリ穴が開いています。
ご飯粒が入ってしまわないか心配だな、と思ったところで前回の抜歯でも同じことを考えていたことを思い出しました。

他人からすれば何ということのない話ですが、私にとっては久々の大事件でした。
やっぱり健康は大事ですね。

ところで抜いた歯はどうするのでしょうかね?どうせなら貰って帰ってよく観察してみても良かったかも知れません。