2013年10月31日木曜日

虚偽表示問題で思うこと

最近のニュースのトップ項目は虚偽表示問題のようです。連日有名店でのメニューに誤りがあったとの報道があとを絶ちません。これだけ似たような話が続々出てくると業界では当たり前のことで悪いとすら考えていなかったのではないかとすら思ってしまいます。
まあ何にしても信用にあぐらをかいて騙していたわけですから悪意があろうがなかろうが悪いと思います。

しかし今回思ったのは個々の会社がどうというよりも、そもそも表示とはどういう風になっているのかな?ということです。
またしても独り言のような内容なので読んでくれる人がいるのか不明ですが、誰も読んでいないと思うと気楽に書けるのでそれはそれで良いかと思います。

今回問題になった内容の一つは商品名と材料の不一致だと思います。「芝エビの○○」だったのに芝えびを使っていなかったとか。
でもこれって「エビの○○」だったら何エビを使っていても構わないわけですよね。個別の種類を指す名前を使うことで商品名でありながら材料表示にもなっていると言うことでしょうか。
でも今回の件は種類こそ違うけれどもエビを使ってただけ良いほうだといえるのかも知れません。どこかの国では牛肉といっておいて他の肉が混ざった合成肉が当たり前ののところもあるようですから。

ところで「オレンジジュース」はどうでしょう。中には果汁0%のものもあるように思いますが、これはいいんですかね。オレンジと言いながらオレンジ自体は全く入っていないのですが商品名だからありなのでしょうか。正確にはJIS法の規定があるようですが、庶民感覚からしたらそんなことは知らないので変な気もします。

魚についてはもっと不思議なことがあります。「銀ダラ」という魚をスーパーで見たことはないでしょうか。これはタラのように感じますが実際はまったく別の種類の深海魚だそうです。たしかメロとか言ったような。勝手に新しい名前をつけちゃっているように思うのですがそれは虚偽表示にはならないのでしょうか。

商品名といえばカキ氷の「ブルーハワイ味」、意外と定番でありますが何のことを言っているのだかさっぱり分かりません。ですがさすがに材料にハワイが使われているなんて思う人はいないでしょう。商品名であって原材料を表示するものではないから何を言っても別に構わないというのも理解できます。
であるならば「芝エビの○○」も単なる商品名で材料を保障するものではありません、何て言えてしまうのでしょうか。良く分かりません。

正確に知りたければ食品表示法なり何なりを調べれば良いのでしょうが、食品表示法自体が難解ですので困ります。
スーパーで単品のお刺身は原産国の表示義務があるのに、お刺身の盛り合わせには不要とか私には良く分かりません。結局のところ表示とは元々よく分からないものな気がしてきました。

まあ表示には色々と疑問がありますが、売るほうからすればやはり興味を引いてくれるものがいいのは間違いないでしょう。ですから通常は嘘にならない範囲で誇張したりぼやかしたりすることになります。

例えば「ビタミンC1000mg配合」とありますが、冷静に考えると単位の表示がおかしい訳です。でもおそらく「1g」と書くより「1000mg」の方が多そうに見えるからそうしているのでしょう。嘘ではないので当然問題ないと思いますが、違和感は感じます。

塾業界でもそうです。以前にも書きましたが「個別指導」という表示には注意が必要です。
具体的にその言葉が指し示す内容は様々で、みんな自由に解釈して使っている節があります。ですから塾選びの際にはその言葉の指す本当の意味をしっかり確認することが大切です。うっかりイメージだけで思い込んでしまうと失敗します。

他にも良く見せるための表現の罠はいっぱいあります。
例えば「テストの点数が20点から90点にアップ」と書かれていたとします。(あくまで他意のない一例です)おそらく嘘でないと仮定して考えても疑問点が多々あります。まず何のテストなのでしょうか。中間期末から確認テスト、小テストと様々ありますが何かは分かりませんし、どれをテストと呼んでも嘘ではないでしょう。ですが計算テストぐらいであればこの成果はさほど驚くものでもないわけです。仮にそうだとしても嘘は言っていないわけです。もっと言えば中間テストと小テストの比較の可能性もあります。全く難度の違うものを比べても意味はありませんが、嘘は言っていません。
チラシなどの狭いスペースでは細かく書けないという事情もありますので、全てが怪しいというわけではありませんが消費者としては警戒しておくに越したことはないでしょう。
疑問に思うことはしっかり確認しましょう。そこで不誠実な対応をする塾であればそれは絶対にやめましょう。

何だか話が散漫になった気もしますが、気軽なブログですのでご容赦ください。

2013年10月24日木曜日

現代のミステリーをちょっと

アメリカのフロリダ州に珊瑚の城、コーラルキャッスルというものがあります。エドワード・リズカーニン氏が1900年台前半に28年の歳月をかけて1人で作り上げた、いわゆる石で飾られたお庭です。

それだけ聞けば別に大した話ではないのですが使われている石は推定1100tにもおよぶというのだからちょっと驚きです。
ですが小さい石をコツコツ集めたのであれば時間はかかるもののやれないことはないかも知れないと考えられます。しかし中には1つで何十tにもなる石があるのですからコツコツだけではちょっと不可能でしょう。それだけ重い石があるにも関わらず本人によれば重機も使わず全て手作業でやったと言うのだから信じられますか?

私が一番驚いたのは9tの一枚岩で出来た回転扉です。絶妙なバランスを保っており指一本で回せるそうです。それだけの重さの石をどうやって運んで、その緻密なバランスを実現したのか不思議で仕方がありません。
本人にやり方を聞いてみたいところですが残念ながら核心を話すことなくすでに亡くなられました。ただ「古代エジプトでピラミッドを作った秘密にたどり着いた」というような趣旨のことだけ言っていたそうです。謎は深まるばかりです。
ちなみに再現しようと実験も行われたようですが、重機を使っても運ぶのが困難な重さの石もあったそうで何の解明も出来なかったと言うことです。

古代のオーパーツ、どうやって作ったか分からないものというのも色々あり面白いですが、この話はより興味をそそられました。作った人が最近まで生きていて実物もあるのにどうやればいいのか分からないというのは、古代の全く分からない昔の話をするよりも手が届きそうでもどかしく楽しいです。ちなみに近所に住む人も作業現場を直接見た人はいないということで、そこで作っていたのは明らかなのに本当に何も分からないのです。

あまりにも分からないので超能力を使えたのだという人もいるようですが、それならそれで解明して欲しいものです。

またどうでもいい話になってしまいましたが、不思議なことを不思議に思ったり、考えたりすることは無駄なことではないと思います。現実的に言えば身近にも不思議はいっぱいあるので、当たり前と思わず不思議に気付けるような目を持ちたいものです。

2013年10月17日木曜日

もうすぐ学力診断テスト

福井では11月6日、7日に中学3年生を対象とした学力診断テストが行われます。
これは中学3年間で最も難しく重要とされるテストです。

テスト内容は中学1年~3年(現時点学習部分まで)と模擬入試になっており、問題レベルも入試と同じか少し高いぐらいとなっています。基本的に福井全体で同じ日に統一して行われるので問題流出などもありません。よってこの結果が進路を決める上で大きく参考にされます。

前述の通り範囲が広く難度はかなり高いので中学時代の最低点を取る可能性が非常に高いテストとしても知られています。まさに付け焼刃ではどうにもならないテストです。

そこでどうしても言っておきたいことがあります。
3年生のこの時期に付け焼刃の勉強に終始しないよう注意してください。少しでも上を狙うのであればやはり基礎が大切です。間近にテストが迫ってくるとどうしてもテスト対策と考えてしまいがちです。それが悪いわけではありませんが、良く出来た応用問題はパターンで覚えても解けません。基礎の理解とそこからの思考が大切です。
また大事なテストであることには間違いありませんが当然本番は入試です。せっかくの時間をその場しのぎだけに使ってはもったいないです。

とても難しいことですが、本来の目標をしっかり見据えて、今本当に必要なことが何かを自分で考えて行動しましょう。困ったら学校の先生に相談するのもいいでしょう。とにかく目の前だけでなくその先を見るよう努力してください。

この時期が来ると毎年こちらも緊張感が増してくるもので目的を見失わず、ナーバスになり過ぎないよう注意したいものです。

2013年10月10日木曜日

「大体」とか「適当」とか

「適当」という言葉の本当の意味は適切に当てはめるという事ですが、日常生活の中では「大体」と同じような意味で使うことが多いように感じます。
「適当に片付けておいて」とか「適当に買ってきて」などというと、大雑把な意味合いを含んでいると感じるのではないでしょうか。

今回取り上げたいのは言葉の意味がどうこうではなく、この大雑把な部分です。

数学において関数の問題を解くときなどはグラフを書いてみることが近道な場合がよくあります。ですので設問に「グラフを書け」と言われていなくても迷っている生徒さんがいると必ずグラフを書くように指示します。しかしグラフを書くと言ってもそれほど正確なものは必要ありません。いってみればイメージを掴むための道具ですので致命的に違っていなければ良いのです。ですから「大体のグラフを書いてみて」とか「あまり正確じゃなくても適当でいいから」などという言い方をしてしまうことが良くあります。
こちらとしては厳密に正確なものを書くより簡単だろうと思って発する言葉なのですが、実際は「正確に書く」より「適当に書く」方が難しいことがあるようです。

ちょっと考えてみてください。
以前にこのことを講師同士で話していたときなのですが、こんなことを言っていました。
料理のレシピがあってその通りに作ろうとするのだけれど「塩少々」とか「胡椒適量」とか書いてあると困ってしまう。
そんなこと?、と思うかもしれませんがそう思ったあなたは料理が出来る人なのです。料理が出来る人にとっては「少々」が感覚的に分かりますが、本当に全く出来ない人にとっては1gなのか5gなのかひょっとしたら100gなのか全然見当がつかないのです。正確に量れるかは分かりませんがたとえ細かくても0.5gなどと具体的に言ってくれたほうがやりようは出てくるのです。

「適当」や「大体」という言葉からは大雑把な印象を受けますが、実のところは非常によく全体を理解した上でないと使えない言葉だったのです。

指導する際によく見落とされるのがこの点です。
全体像が分かっている者であれば適当にやってもポイントだけは押さえます。分かっているから適当に出来るのです。
分からない者にとっては、当然ポイントも分からないことがほとんどですので適当になど出来るはずがありません。
ですが指導者にとっては当たり前すぎる事なので本質の説明を省いて手順だけ説明してしまいます。
その結果、何となくそれっぽいものが出来上がります。もともと適当なのですからその場しのぎのことは簡単に出来ます。そして指導者は勝手に出来るようになったと勘違いするのです。
誰も幸せになれません。

「自分が出来ること」と「他人に教えられること」は決定的に違います。
指導者に必要なのは難解な問題がただ解けることよりももっと根っこの当たり前なことを当たり前とせず説明できる力だと考えます。
「適当にグラフを書く」、何のためにグラフを書くのか?何に注目するのか?何は省略してもいいのか?何には気をつけなければいけないのか?私はそれらの説明を大切にしています。そしてそれらが理解できると解くための道具のグラフが書けるようになるだけでなく、結局のところ問題自体が解けてしまうのです。

「適当」を説明するのが適当ではダメなのです。

2013年10月3日木曜日

役に立つ中学数学「グラウンドにコートをつくろう」

以前、知り合いに頼まれて欠員補充のため1日だけイベント設営のアルバイトに行った事があります。
仕事内容はゲートボール大会の競技コートを作るというものでした。
広いグラウンドに12面のコートを作ります。炎天下の作業でなかなか大変な仕事です。

ただ作業自体はやり方がわかれば難しいものではありません。
ゲートボールコート作成用のガイドロープのようなものがあり、それを手順通りに張っていけば完成します。そんなツールがあるを知らなかったのでそこに驚きましたが、私が一番感心したのははじめに行った基準線を引く作業です。

目印のないただの広いグラウンドだったので適当に作っていっては12面のコートが歪んでしまいます。綺麗に並べるためまずは基準となる線を引く必要があるのです。
だいたい100m×50mぐらいの大きな直角の線です。

私は深く考えずに「そんな大きな直角どうやって作るんだろう?」とぼんやり思っていました。
狭い範囲で出した直角では図形が大きければ端っこではかなりずれている、何てことは容易に想像が出来ます。設営のプロだからそれようの道具でもあるのかな?ぐらいに考えていたのですが実際は違いました。

使ったのはグラウンド用(?)の長い巻尺3つだけです。
現場の責任者が仲間に対して「15、20、25でいこう」と指示を出していましたが、ぼんやり見ていた私はまだ何のことが分かっていませんでした。
そのままぼんやり見ていると巻尺を使い15m×20m×25mの三角形を作り出しました。この段階になってやっと気付いたのですから私もかなり思考停止してたと思います。
だって目の前でやっていたことはいつも生徒さんに教えている「三平方の定理」なんです。

各辺の長さが3:4:5の三角形を作ればそれは必然的に直角三角形となります。それを大きく、例えば今回のように15m:20m:25mで作れば広いグラウンドでも簡単に大きな直角を作図できると言うわけなのです。
結果、その基準線を元にコートを作りました。出来上がって分かったことは、この手法で作られたコートがだいぶ正確に完成していたと言うことです。パッと見て歪みもなく綺麗なものでした。

言われてみれば当たり前のことでしたが、実際の仕事現場で中学数学がそのまま使われていたことにとても感動してしまいました。
まあ、それと同時にそこに思い至らなかった自分がとても悔しかったですけど。

何のために勉強するのか、勉強が何の役に立つのかは誰しも一度は持つ疑問ではないでしょうか。それに対して具体的な答えを見つけるのは結構難しいです。

でもだからこそ今回改めて思いました、「何かに役立つからではなく、何かに役立たせるために勉強する」のだと。

どんな場面で役に立つかは分かりませんが、いろんな場面で役立たせることは出来るのかも知れません。そしてどう役立たせるかは自分次第。
実際の現場で役立たせられていなかった私が偉そうなことは言えませんが、お子さん達には是非そう思って勉強してもらいたいです。