2014年7月31日木曜日

夏は入道雲が良い!!

夏は暑くて大変なのですが、基本的に好きです。
そして夏に好きなものの一つが「入道雲」です。
境界線が曖昧でボヤッと空に溶けているような雲と違い、入道雲はモコモコとした輪郭がはっきりと分かります。そのとてつもなく巨大な塊が空に浮かんでいる様は何とも雄大で何だか不思議でとても好きです。
まあ、最近はゲリラ豪雨の原因にもなるので好きだとか言っては怒られるのかもしれませんが、ご勘弁を。

しかし突然に何故こんな話をしたかというと先ほどとても綺麗な入道雲を見たという単純な理由からです。つい頑張って写真に撮ってみました。そこそこ上手く撮れた気がするので是非見てもらいたくなりました。
というわけで1年以上やっているブログで初の写真掲載です。
綺麗に見えると良いのですが。

ちなみに「雲」ですがあれは水蒸気ではないという事、知ってますか?
よく勘違いされている方がいるのですが、雲は水蒸気ではなく水(もしくは氷)です。そもそも水蒸気は今も回りに存在している目に見えないものです。目に見えるあの雲は小さな水の粒が集まったものですので誤解なきように。と少し理科の話を入れて塾のブログっぽくしてみました。どうですかね?


2014年7月26日土曜日

動物も同じなんですかね?

ネットのニュース記事を読んでいると面白いものがありました。
ゴリラがパネル上の数字を順番に押していく学習で「1~5」までの数字を順番に認識した、というものです。以前からチンパンジーの話はありましたが、ゴリラでははじめてだという事です。

どれぐらい凄いことなのか素人の私には難しいですが、これだけ話題になるということは多分凄いことなんでしょう。そしてそう考えると人間の凄さも改めて感じられます。とても興味深いニュースです。

ですが私が面白いと感じたのはそこではありません。その学習における状況です。
記事によるとゴリラも間違いが続くと勉強に対する意欲がなくなるそうです。
そしてそんな間違いが続いて自信喪失しているような時には易しい問題に戻したり、間違えてもご褒美をあげたりして励ましていたそうです。

何とも人間と似ているじゃないですか。

私も教える立場として生徒さんに対しての対応はいろいろと悩みます。ですが重要と考えているのは無闇に怒らない事です。生徒さんの話でときどき耳にするのが「間違えて怒られた」という話です。状況は様々ですので一概にそれが悪いとは言えませんが、間違えたから怒るということは意味がないと考えています。

新しいことを学ぶというのはとても大変なことです。大人になってしまうと忘れがちですが常に新しいことをやり続けている学生というのは毎日が本当に大変だと思います。そして挑戦するということは失敗をステップにして進むことだと考えます。失敗は反省すべきことであり怒られることではありません。
怒るべきことがあるとすればそれは「取り組み」です。不真面目であるとかサボるような本人に非があるときには怒ることも必要かもしれませんが、間違えることは非ではないと思っています。
間違いを重ねて成長します。しっかり間違うことは良い勉強になることもあります。間違えて直すことがとても大切なんです。

何だか話がそれてきたような気もするのでこの辺にしておきますが、ゴリラの話題から新しいことを学ぶというのは大変なことだと感じた次第です。

なお「動物と人間を一緒にするな!」と怒る方もいるかもしれませんが、大らかな気持ちで考えてください。だいたい優劣の話をしたいわけではありませんので。

2014年7月18日金曜日

夏休みが始まりますね。

いよいよ夏休みが始まります。
昔を思い出すとこの時期は楽しみでワクワクしていたものです。何が、というわけではないのですが夏休みほどまとまった長い休みはないわけで膨大な自由時間にワクワクしていたように思います。ですが実際にその時間はダラダラと浪費されてしまい、あまり有意義とは言えなかったのは残念な過去の話です。

大人になった現在、夏休みというこの時期に対して何を思うかというと実は今も楽しみなのです。会社員時代はお盆休みを楽しみにするだけでしたが、塾をやっている今は夏休み全体が楽しみです。
何故か?
夏期講習があるからです!

こういう書き方をすると商売っ気満点に見えてしまいますが、そうではないのです。(全くそうでないこともないけど…)
私は理科が大好きです。基本的に分野問わずに面白くて仕方がありません。だから理科を教えているときが実は一番楽しいのです。ですが通常の授業で理科を毎週受講してくれる方はほとんどいないのが実情です。
まあそうですよね、やるならまずは重要科目の数学か英語と考えるのが普通です。
ですが他の科目を放っておいて良いわけではありません。そうするとどうなるかというと、夏休みなどのまとまった休みにカバーすることになります。

というわけで夏期講習になると理科を教える機会が増えるのです。
理科好きの私としては理科の成績を上げるコツは好きになることだと考えます。好きになるとどうなるかというと身のまわりの現象に疑問を持つようになります。そうするとそれを解決してくれる理科が楽しい以外ありえなくなるのです。(ちょっと大雑把ですが持論です)
まあ、勉強としてやると楽しいだけではありませんが少しでも楽しさを伝えたいと思いながら授業します。特に大事なのが雑談ですね。いかに授業に関係ある雑談を持ってきて興味を引けるかは気合の入るところです。上手くいかないこともありますが…

そんな訳で忙しくなり大変でもあるのですが、私にとっても楽しい夏休みが始まります。
貴重な時間です、勉強に部活に遊びにとメリハリをつけて有意義に過ごせるよう私も頑張ります。

なお最後に念のため、理科以外の科目ではやる気が無いなんてことはありませんので誤解なきようお願いします。

2014年7月11日金曜日

中高一貫教育について思うこと

福井では来年度から高志中学がはじまり中高一貫教育の公立学校が出来ます。果たしてどのようなものになるのでしょうか。これについてはそろそろ具体的な情報が上がってきたので確認中ですが、この機会に中高一貫教育について思うことを少し。

以前、中高一貫教育の学校に通っている生徒さんを受け持っていたことがあります。学校の授業の進め方がどうなのかなど分からないこともあったので常に進捗を確認しながらやっていました。あくまで生徒さんから聞く情報が主ですので多少違って伝わっていることもあるかと思いますが、私は学校にあまり良い印象を持ちませんでした。

というのも折角の中高一貫教育がただの大学受験対策になっていると感じたからです。
私が聞く限りカリキュラムにたいした工夫もなく早く進めることを主眼においているようでした。高校受験を気にしなくて良いので早めに中学過程を終わらせて中学のうちに高校過程を始める。そしてそれも早く終わらせて丸々大学受験の対策に専念できる時間をつくる、そんな感じのようでした。

一つの考え方としてこれも正しいのかもしれませんが、私にはつまらなく見えてしまいます。

どうせ中高一貫にするのであればもっとカリキュラムに工夫がほしいです。
私が中学生に勉強を教えるときに困ることの一つが中学の枠に縛られてしまうことです。高校生だったらもっと良いやり方が出来るのに、などと思っても中学の枠の中で教えなければいけないことは多々あります。

例えば、数学です。入試などでよく出題される「規則性」というものは多くの生徒さんが苦労します。ですがこれって高校の「数列」を知っていると比較的簡単に解ける問題が多くあります。でも中学でそれは学ばないので便利な方法が使えないから苦労してしまうのです。

もっと切実に中学の枠に縛られることが苦しいのが理科です。正確な理屈を教えずに話が進むことはよくあります。また理屈が中学生用に作られていて本来の科学と異なるということも。

例えば「物質の状態変化」では「液体から固体に変わると体積は小さくなる」と教えるのですが困ったことに一番身近ともいえる物質の水がこの通りではありません。これは身近な水が実はちょっと特殊だという困った理由からそうなるのですが、その理屈が説明されるのは高校に入ってからです。中学生に説明するのは難しい内容であるともいえますが、感覚的に合わないことをただ覚えるのは面白くありません。というより科学の楽しさが全く損なわれています。

他にも「中和」というものがあります。非常に残念なのはこの定義が中学と高校で違うということです。たしかに中学生用に分かりやすくすることに意味はあるかもしれませんが、高校に入って「あれは違ってます。本当は…」と教えられるわけで私の場合はよけいに混乱してしまいました。

つまり何が言いたいのかというと中高一貫教育をするのであれば中学と高校の学習内容を根本的に融合させた新しいカリキュラムを作ってほしいということです。

私がよく知らないだけでそういう事をしてくれている学校もあるのかもしれません。そうであれば良いのですが、あたかも大学に入ることだけが目的かの様に受験勉強だけしていては貴重な十代が勿体無いです。本当のゴールはもっともっと先です。そしてゴールだけが大切でなくその過程にも意味があります。その時々で有意義な学習が出来ることを願います。

理想論ですかね?
でもテストのためだけでない、学ぶ楽しさを伝えたいというのが指導者としての私の根底にある大切な部分なので捨ててはいけないと思うわけです。(取り敢えず上手くできているかは置いておくとして…)

2014年7月4日金曜日

「東京オリンピックが楽しみだ」と聞いて何を思う?

先日テレビを見ていると「東京オリンピックが楽しみだ」という言葉を聞きました。
この言葉から皆さんはどんなことを思うでしょうか?
まず考えるのが6年後の東京オリンピックを楽しみにしているのだろうな、ということでしょう。今の時点で普通に考えればそうなりそうです。

ですが言葉の意味はそんなに単純でないこともあります。
例えばこの言葉が1960年に発せられたものだとするなら、楽しみとされる東京オリンピックは1つ前のものとなります。さしずめ過去の資料映像で語られた言葉を聞いたというところでしょうか。

では今現在の言葉だとしても発言者がアスリートだった場合はどうでしょう。その場合、楽しみと言うのは観戦に行くことではなく参加することの可能性が出てきて、多少意味合いが変わるように感じます。

また発言者が建設業の人だったらオリンピックにあわせて仕事が増えることを予測しての言葉かもしれません。

はたまた発言者が100歳のご老人だったらどうでしょうか。言葉の意味は変わらないかもしれませんが、とても重みが出てくるように思います。

実際に今回私が聞いたこの発言は102歳の医師がされたものだということでした。聞いた瞬間に単純なその一言が全く違う意味合いに感じられて驚きました。

最近はいろいろな方法でいろいろな人が情報を発信出来ます。ですがその情報は必ずしもフェアなものとは限りません。自分の伝えたいように事実を捻じ曲げてしまうこともあります。例えばそれは他人の発言内容を書き換えてしまうというほど乱暴なことをしなくても、前後を省略してしまうだけでも可能なのです。

数多くある情報の全てをしっかり検証してみることは非常に困難ですが、一部だけを見て全てを分かった気にはならないように気をつけたいものです。
以上、情報に踊らされやすい自分への教訓でした。