2016年9月21日水曜日

オリンピック、ホスト国の役目

リオ五輪が終わりましたね。ライブではなかなか見れませんでしたが良かったです。

次は4年後に東京五輪が待っています。
久々の日本開催で沸いていましたが、ホスト国が浮かれていてはいけません。

自国開催の大会では通常より良い結果が期待されるように思います。オリンピックだと多くのメダルが期待されます。
でも、それって少し変じゃないですか?

実際に自国で行われる大会は選手にとってメリットの多いものだと思います。だから期待も高まるのでしょうが、開催地の有利不利が結果に大きく影響するというのは如何なものかという気もしてしまいます。
完全に公平なんてことは出来ないのでしょうから仕方なくはあると思うのですが、ホスト国としてはメダルの数をどうこう言うより、外国からくるゲストが気持ちよく戦える大会を目指すべきだと思います

それを勘違いして結果だけにこだわると、いつぞやのアジア大会のように空調をいじってバドの試合を妨害、なんてことになってしまうのです。まあ、普通そこまでしないにしても自国選手に有利になるようにという意識が不公平を生んでしまいかねないのです。
それが絶対に駄目なことかといわれると正直分かりませんが、私は公平な状況で戦い勝つことこそがスポーツの面白さだと思っています。

4年後、東京五輪が終わったときに外国から訪れた選手たちに「日本でのオリンピックはどの国でやるよりも気持ちよく戦えた」といってもらえることこそがホスト国の金メダルなのだと思います。

なんてね。

2016年5月11日水曜日

好きな科目、嫌いな科目

私が生徒さんによく聞くことの1つに好きな科目と嫌いな科目の話題があります。得意科目と不得意科目と言い換えても実際はあまり違いがないことが多いですが、本当はちょっと意味が違うのでこのように聞きます。

「どの科目が好き?得意でなくてもいいんだよ」

そうすると色々な答えが返ってきます。
よく悩んだ挙句に
「給食!」
と元気に答えてくれた子は大物だったのかもしれません。
他にも音楽や体育などの答えも返ってくるので条件をつけて「5教科でお願い」というとしぶしぶ数学だったり英語だったりが返ってくることもあります。私自身は理数が好きだったのでそんな話をしながらあわせて
「じゃあ嫌いな科目は?」
と続けます。この質問には多くの子がサッと答えてくれます。本当に嫌いなのがよく伝わってきてちょっと心配です。

でも大事なのはここからです。さらに続けて
「なんで?」
と聞くと嫌いな科目の理由は驚くことに多くの生徒さんが同じことを言います。

「科目の先生が嫌いだから」

もちろん覚えるのが苦手とか興味がないという理由も出てきますが、それだけでは終わらず上記の答えがセットになっていることが多いです。
そして好きな理由でも「科目の先生が面白いから」といった答えはしばしば聞かれます。

これはとても恐ろしいことだといつも思います。
勉強の中身でなくそれを指導する人が嫌いだという事でその科目も嫌いになってしまうのです。
決して学校の先生の悪口を言いたい訳ではありません。実際に同じ授業を受けても良し悪しの感じ方は人それぞれですから。ただ考えなくてはいけないのは教える側の影響力です。
一概には言えませんが、やはり嫌いな科目は成績が伸びづらい傾向にあると思います。出来なくてもいいので嫌いにならないでほしいというのが私の思いです。

ですから私が授業をするときに意識していることの1つは私が嫌われないことです。上手く出来ているかは分かりませんし、こういう言い方だとただ媚びているように聞こえなくもないので誤解されないか心配ですがそういう訳ではありません。注意すべきことは注意しますし、厳しく指導することもあります。ただ、合間に雑談をする事とその科目のどこが面白いか余談を入れるようにしています。私自身や科目自体に興味をもってもらうかとが狙いです。

塾としてやるからには成績を上げることは絶対条件です。
ですが私の願いとしては私の影響でその科目が好きだという生徒さんが1人でも出来ることです。なかなか道は険しいですがこの仕事を選んだ以上諦めたくないですね。

2016年4月27日水曜日

「どうすれば出来るのか考えろ!」

会社員時代に上司から言われた言葉です。

「出来ない理由は聞いていない、どうすれば出来るのか考えろ!」

仕事をしていく上では同じことばかりやっていれば良いという訳ではありません。新しいことをしていかないと生き残りは難しくなっていきます。しかし新しいことには困難が付き物だという難点があります。
困難に際して人は消極的になりがちだと思います。つい出来ない理由をあげつらって、結局新しいことははじめないというのはよくある話だと思います。

そんなときに上記の言葉です。とても前向きで希望に満ちています。止める事を考えるのではなく、進む事だけ考えるのです。
私はこの言葉に感動しませんでした。

捻くれ者で御免なさい。
でもどうしても納得できないのです。
だって、どうしたって出来ないことや出来ない方がいいことだってあると思うんです。

例えば某自動車会社では達成不可能な燃費性能の実現を業務命令にされました。でも出来ないとは言えないので偽装しました。
例えば某国では勝ち目のない戦争を回避するための議論が行われました。ですが途中からどうすれば会戦できるかに議論がすり替わって、結果惨敗しました。
(上記の例は個人的見解です。悪意はありませんのでご了承ください)

「どうすれば出来るのか考える」というのはとても大切だと思います。ですが、そのときにはマイナス要因も考慮には入れることがもっと大切だと思います。盲目的に進むのではなく止まる勇気と進む勇気を併せ持ち、現状を冷静に判断するという事こそが大切なのです。

イケイケ上司に振り回された過去を思い出しながら、自分は冷静に判断できる人になれたのか、ただ消極的な人になっただけなのか自問しています。