2016年4月27日水曜日

「どうすれば出来るのか考えろ!」

会社員時代に上司から言われた言葉です。

「出来ない理由は聞いていない、どうすれば出来るのか考えろ!」

仕事をしていく上では同じことばかりやっていれば良いという訳ではありません。新しいことをしていかないと生き残りは難しくなっていきます。しかし新しいことには困難が付き物だという難点があります。
困難に際して人は消極的になりがちだと思います。つい出来ない理由をあげつらって、結局新しいことははじめないというのはよくある話だと思います。

そんなときに上記の言葉です。とても前向きで希望に満ちています。止める事を考えるのではなく、進む事だけ考えるのです。
私はこの言葉に感動しませんでした。

捻くれ者で御免なさい。
でもどうしても納得できないのです。
だって、どうしたって出来ないことや出来ない方がいいことだってあると思うんです。

例えば某自動車会社では達成不可能な燃費性能の実現を業務命令にされました。でも出来ないとは言えないので偽装しました。
例えば某国では勝ち目のない戦争を回避するための議論が行われました。ですが途中からどうすれば会戦できるかに議論がすり替わって、結果惨敗しました。
(上記の例は個人的見解です。悪意はありませんのでご了承ください)

「どうすれば出来るのか考える」というのはとても大切だと思います。ですが、そのときにはマイナス要因も考慮には入れることがもっと大切だと思います。盲目的に進むのではなく止まる勇気と進む勇気を併せ持ち、現状を冷静に判断するという事こそが大切なのです。

イケイケ上司に振り回された過去を思い出しながら、自分は冷静に判断できる人になれたのか、ただ消極的な人になっただけなのか自問しています。

2016年4月13日水曜日

人生で一番褒められたこと

もうだいぶ前のことになりますが、弟が結婚しました。
当然結婚式をするわけですが、我が家は父がすでに他界しているので私と母の2人が一番近い親族として出席することになります。
本来ならば気楽な兄の立場でいられたのかも知れませんが、今回は父親のするはずだった役割が回ってきてしまいました。

それは、親族代表の挨拶です。

私はこういう場合は新婦側のお父さんがするものだと勝手に思っていたのですが違いました。
新婦側からの気遣いだったのでしょうが私にご指名が・・・
寝耳に水とはこのことです。
弟の方が先に結婚するという場で未婚の未熟な兄にそんな役が回ってくるとは思いもしませんでした。
人前で話すなど全然得意でない私としては遠慮したい気持ち山々だったのですが、「出来ません」とはさすがに言えずやることに。

やると決まったからにはきちんとやりたいものです。ネットで一般的な挨拶の例文を探して幾つかを読み、それを元に自分用のスピーチ原稿を作成しました。余裕を持ってやればいいのに、やっぱりギリギリで式の前々日に原稿完成です。式は東京で行われるため前日入り、車椅子の祖母を連れて行くという大役もあり覚える時間がありません。原稿はメールでスマホに移していたので空き時間にこまめにチェック、しかし暗記は大の苦手で大苦戦。当日は式の合間にお酌に回りながら未だにスマホで原稿チェック、覚えたんだかどうなんだか状態でいよいよ本番です。

意外と落ち着いて出来た、というのが感想です。
ただ上手く出来たかといわれると内容も含めて自信はありませんでした。実際、予定していた内容を1行飛ばしてしまったし・・・
でもそれなりに歳をとったためか、塾の仕事で話す機会が多かったためか悪くはなかったと思いました。
一応の役目を果たしたことで私の出番は終わりです。「終わった、苦情は受け付けません!」そんな気分でした。

ところがその後です。
親族として披露宴の参列者を見送る際に多くの人が「スピーチ良かったです」と賞賛してくれるではありませんか。

「今日のスピーチの中で一番よかったです」
「良かったです。そういった仕事されてるのですか?」
「感動しました」

はじめはお世辞だと分かっていたつもりなのですが、あまりに多くの人が褒めてくれるので「本当に良かったのかも?」と思いはじめてしまいました。親戚からも「そういう仕事がむいてるんじゃないか?」と褒められ、弟の友達の中に私のスピーチで泣いている人がいたとか、2次会でも褒められまくった(弟談)とか良い情報ばかり入ってきます。
ここまでくると今度は疑心暗鬼になってしまう悪い性格が顔を出します。よっぽど出来ない子だと思われていたのだろうか?なんて。

しかしまあ、ただ一つ言えることは、私の人生の中で一番褒められた出来事だったということです。

そして褒められて悪い気はしません。
生徒さんもそれは同じでしょう。
どうしても勉強では間違いや悪いところを直すことが多くなり、ある意味注意ばかりすることになります。本当はそんなときこそ良いところを見つけてあげて褒めるのが大事なのだと改めて思いました。これからはより気をつけていきます。


なお、どうも私はスピーチが上手いらしいので講演依頼お待ちしております。(冗談です)

2016年3月30日水曜日

当塾にマニュアルはありません!

「マニュアル人間になるな」などという言葉を聞いたことのある人は多くいると思いますが、マニュアルというものは悪いものなのでしょうか?
私は違うと思います。
過去にはバイトも含めて幾つかの仕事をしてきましたが、毎回はじめての時は何をしていいものやらサッパリ分かりません。まさに右も左も分からないという状態だと思います。業界の当たり前は決して一般の当たり前ではないのだから当然だと思うのですが、意外とそのことに気付いてもらえなくて上手く仕事ができず注意されるなんてこともよくあります。
こんなとき、マニュアルのしっかりしているところは仕事がしやすいです。はじめは意味も分からずマニュアルにしたがって仕事をします。そうすると取り敢えずの形はできてきます。そのうちにその意味が分かってきて自分なりの工夫や改善ができてきます。導入にマニュアルを使うことは効果的なのです。
ですが当塾にマニュアルはありません。

そもそも塾におけるマニュアルというのはどういう意味か?これには2つの意味があります。

1つ目は講師にとってのマニュアルです。
それはいわゆる指導マニュアルというやつです。大手学習塾ではそういったものもあるようですが、私が以前目にしたものはとても役に立つとは言えないものでした。一斉授業ならまだしも個別指導となると難しいようで、どこかには凄く良い物もあるのかも知れませんがまだ見たことはありません。
というのも個別指導では1人をしっかり見ます。しっかり見るとどの生徒さんもみんな違います。性格はもちろんのこと過去の学習状況、現在の意欲、家庭環境などなど同じ生徒さんはいません。そうなってくると教え方も当然違ってくる必要があります。みんな違うからマニュアル化することが難しいのです。
当塾でも学習における大枠の方針と理想はあります。ですがそれだけで指導できるものではありません。基本方針をベースに毎回1人ひとりに合わせたやり方をその都度考えていきます。なので同じ問題でも生徒さんによって解き方が違うなんてこともでてきます。
これは同じ学校で同じ学年の生徒さんでも同じ授業ができないという事で、講師にとっては大変です。ですが個別指導の価値はここにあると信じています。まあ、そもそも同じことで済むのならば個別指導なんていりませんから。
ちなみに当塾に指導マニュアルはありませんが、指導方法の意見交換は毎日のようにしています。授業前や後にどんな状況でどんな方法を取ったのか、これからどうするのかを話し合います。白熱すると帰れなくなってしまうのが悩みどころです。
いつの日にかは私たちが得た知見をまさにマニュアルとしてまとめられたら良いな、と思いますが道は遠そうです。

次に2つ目は生徒さんにとってのマニュアルです。
これは参考書や問題集などの教材を指します。もし完璧な教材があれば塾になんか行かずそれを自分でやっていればいいのですが、前述の通り1人ひとりが違うのでピッタリ合うものにはまず出会えません。
当塾では教材を指導するための道具と考えています。なのでこれも生徒さんによって違うものを使ってもらいます。どれを使ってもらうか選ぶのも大切な仕事なのですが、なかなか思い描くものがなく毎回苦労します。
理想の教材も作ってみたいと思うのですが、やはり道は遠いです。


マニュアルはあると便利です。ですが複雑な内容において適切なそれを用意することはとても困難です。
文科省は学習指導要領を定めています。ですが全国の学校がどこも全く同じ指導をしているかというと違います。それで当然なのです。
決まりきったことをやるのではなく、常に良い方法を模索することこそ指導者の仕事だと考えます。
(などと偉そうに締めましたが、これは自分自身への戒めの言葉でした。つまり今回も独り言・・・)