2013年11月15日金曜日

父のことを少し

もうすぐ私の父の命日です。
思えば今こうして私が福井で塾をやっているのも、父が病気になったということがはじまりだったのかも知れません。元々は県外で勤めていたので何もなければ福井には帰っていなかったかも知れないのです。
父の闘病生活は大変でしたが、愚痴っても結果が変わるわけではないので良かった事だけ考えたいと思います。そうしてみると今、こうやって塾をやれていることは幸せだと言えます。

というわけで父のことを少し話してみたくなりました。
父はおそらく少し変わった人だったようです。あまり空気の読めるタイプではなく、話好きですが聞くのは下手です。理系の人間で機械いじりや工作が好きでした。流行には疎くて自分の好きなことを貫く人で、よく私と一緒に子供っぽいことに一所懸命になってしまうような人でした。

小さい頃から子供の面倒見は良く、週末には必ずと言っていいほど遊びに連れて行ってくれました。ただ遊園地やら動物園のようなお金のかかる施設に行くことはほとんどなく、基本的には公園や広場などです。そしてそこでする遊びも普通だったらキャッチボールとかサッカーではないかと思うのですが、我が家の場合はフリスビーやアスレチックでした。
小さい頃からそうだったので疑問も持ちませんでしたが学校の友達と遊ぶようになると、ほとんど経験がないため野球やサッカーが下手で苦労したのを覚えています。

父は読書好きでした。小説はほとんど読まないのですが、それ以外はほぼノンジャンルで様々なものを読んでいました。しょっちゅう図書館に行っては家族のカードまで使って鞄いっぱいに本を借りてきます。そして暇さえあれば何かしら読んでいるのです。
普段は気にしないのですがある日、ちょっと気になるタイトルの本を読んでいたので「あとでどんな内容だったか教えて」と告げ、後日内容を聞いたのですが父の答えは「忘れた」というものでした。何のために読んでいたのでしょうか?

私が大きくなってからも父と出かけることはよくありました。
長い間つづいた遊びの一つが「焚き火」です。
近所の川に出かけて中洲のようなところに行きます。流木を拾い火をつけて、それをいじっているだけの遊びです。
そんなことを続けているとこだわりが出てくるもので、私達の中ではいくつかルールのようなものが出来てきました。燃料は持っていかない、マッチ一本で火をおこす、ゴミを燃やしたりしない、といった感じで本当に焚き火自体を楽しむという内容です。しかし適当なルールなのでそれに外れることもしばしばありましたが、あまり気にしません。
焚き火をするならやはり秋が良いです。気温だけでなく個人的には春よりも秋の少し物悲しい感じが合っているように思います。当然夏場は暑くてかないませんし、冬だと福井は天気が悪く雪もあるので大変です。時間帯は日没前後から夜にかけてが最高です。あたりが暗くなるにつれて火の表情が変わっていくのはとても綺麗です。その上、徐々に星が見えてくると最高です。
基本的には火を楽しむので何をするわけではありませんが、あるときは川の釣り人から鮎を買ってその場で焼いて食べました。さぞ美味しかろうと思いきや、塩を持っていなかったのであまり美味しくありませんでしたけど。塩って大事なんですね。
ちなみに川での焚き火がしてもいいものなのかはよく知りませんので真似しないようにお願いします。私の場合はもう10年は前のことですので時効かと思っております。それに中洲のようなところは川に囲まれていて、増水時には水没するところなので延焼の危険はなかったと思います。

何だか命日が近いせいか色々なことを余計に思い出してしまいますが、長くなってきたのでこんなところにします。
相変わらず塾のブログとは思えない内容ですが、お付き合いいただいている方がいましたら有難うございます。