2016年3月17日木曜日

友達がもたらす功罪?

前回、友達の話をしていたらちょっと思い出すことがあったので書いてみます。


多くはありませんがいくらか私にも親しい友達はいます。その中でも一番よく一緒に飲み明かした友達が3人(もう1人いるのですが音信普通になりがちなので今回は割愛)います。
最近はみんな忙しく集まる機会はほとんどありませんが、みんなでバカやったことも数知れず。気楽に付き合える良い奴らです。ですがこの集まり、他人から見るとちょっと不思議なのだそうです。

どう不思議なのかと言うと私以外の3人がとても優秀だということです。社会人時代に出来た友達には「なぜその中にお前が入っているの?」と聞かれる始末。でも言われてみればそんな気がしないわけでもありません。

その3人はそれぞれ東大、京大、国立大医学部の出身です。そしてそれぞれ検事、SE、医者になりました。
ん~、学歴やらに無頓着の私でも改めてみると確かに凄いと感じます。
そしてその中で私だけが普通の人、変といえば変かも?

彼らとは小学校からの付き合いなのであまりそういうことは意識してきませんでした。加えて彼らがそういったことで私を差別したり、自慢したりした記憶もありません。だから私には何の違和感もありませんし、一緒にいて楽しい仲間です。楽しいのだからそれで充分なのですが、それは他人には見えないものなので不思議に思うのなのですかね?

たぶんお互いが楽しいから続いているのだと思いますがこの友達関係、よくよく考えてみると功罪があったようにも思います。
功の部分、学歴や地位に怯えない、気にしない。罪の部分、劣等感。

もともと両親が学歴や地位に無頓着な人たちだったという事もありますが、この友達が一つも威張らなかったというのも大きな影響のように思います。
子供の頃から偉そうにされたことはありません。それでも優秀な奴らなのでしょう、何でもないときに凄さを感じることはありました。
そういった経験からか私は「凄い人は凄そうにしない(偉い人は偉そうにしない)」と思うようになっていました。なので偉そうにしている人を見ると「小者?」と思ってしまいます。私の中でこれは良かった事だと思います。

ただ、何でもないときに感じる凄さというものは自分の駄目さを感じるときでもあります。同じように遊んでいた友達が急に「勝てない相手」に見える瞬間を何度も経験すると自分がとても駄目な人間に思えてきます。実際に大物ではないのだから仕方が無いのですが、そこから生まれたのは劣等感のようです。
「劣等感」と言いましたがその正体に気づくのには時間が掛かりました。偉そうにされなかったので鈍い私は直接優劣として感じるのではなく、何となく自分には追いつけないような敗北感というか身の程を知るというか曖昧なモヤモヤがあるだけで、それが明確に何なのか分からなかったのです。でもそのモヤモヤはちょこちょこ私の邪魔をします。何か分からないから余計に扱いづらいモノでした。それが劣等感なのだと気づいたときは変な話ですが正体が分かって安心したように記憶しています。
身の程を知るのは大切ですが、萎縮しているばかりでは仕方ありません。これが悪かったことでしょうか。

しかしそれも考えようですかね。劣等感のおかげであまり他人に偉そうにすることが出来ません。だって恥ずかしいですから。「偉くない人ほど偉そうにする」と私は思っているので、私なんかが一番危ないタイプなわけです。たまに失敗もしますが、劣等感は良いストッパーかも知れません。

でもまあ本当のところは功罪など考えず、友達関係は楽しいということが一番でいいように思います。
高めあえる仲間、利害関係のある仲間、色々あるのでしょうが、難しい事いわず気楽にいられる場所であっていいと思うのです。
そういう意味で色々ありますが、私は良い友達を持っているのでしょう。

そんなこんなで、結局のところどうオチをつけるかと言うと
「友達っていいね!」
という綺麗な(?)結論に無理矢理しておきます。
毎度与太話に付き合ってくれる方、いたらありがとうございます。