2015年2月5日木曜日

大人の定義(雪国編)

だいぶ過ぎてしまいましたが、先月は成人式がありました。
この時期になると新成人が騒いだ話などと絡めて「大人とは?」のようなことがよく話題になるかと思います。少年法の問題や選挙権の年齢引き下げなどの議論もどこから大人と考えるかで変わってくる難しい問題だと思います。

そこで私も少し考えてみました。そして1つの結論が出ました。

ズバリこれです。
「雪が降って(積もって)嬉しくなくなったら大人」

いかがでしょうか?
福井も一応雪国です。本場に比べれば大したことはないのかも知れませんが、それでも降るときはそこそこ降ります。そこで長年生活をしてきた私としましては自身の感情があるときから大きく変化したことを感じます。それがまさに雪に対する感情なのです。

当然のごとく幼い頃は雪が降るのが楽しみで、降ったら無駄にテンションが上がりました。寒さも気にせず雪の中に飛び出していったものです。
それが今はどうでしょう。天気予報で雪の予報を見るだけでテンションが下がってしまいます。そして積もってしまった日にはもう最悪です。

まず雪が降ると道が混みます。車通勤では無駄に時間を取られますし、仕事に遅れるわけにもいかないので通常よりも朝早く起きる必要も出てきます。そして雪道の運転は疲れます。除雪車が入っていても路肩によけた雪が残るため道幅は狭くなり、路面も滑りやすくなります。シーズン最初の大雪では大抵通勤の間に交通事故現場を見かけるものです。さらに雪かきもしなければなりません。これは本当に重労働です。福井の雪は湿り気が多くとても重たいのが特徴です。それを家の前から雪が捨てれる側溝などまで持っていく、1時間ぐらいでは終わらないものです。何とかやり終えた次の日は激しい全身の筋肉痛に襲われるのが定番です。

ざっと挙げただけでも雪は以上のような面倒ごとをつれてきます。とても喜ぶ気持ちになれないのは分かっていただけるのではないでしょうか。

子供の頃には心待ちにしていた雪が大人になると厄介ごとでしかなくなる。
つまりこういうことではないでしょうか。
子供の頃は雪で学校に行くのが遅れたってさほど気にしません。雪かきの義務もありません。遊び道具が降ってきたぐらいのものです。ですが大人になると雪だからといってそうそう仕事に遅れるわけにもいきません。ご近所さんの迷惑にもなりますから自分の家だけ雪かきをしないわけにもいきません。
そう、雪は大人に責任を積もらせていくのです。
ですから雪を見て「嫌だ」と思うというのは「責任」を感じているということだと考えます。

雪を見て責任を感じるようになる、これが大人の証なのです。

以上、私の仮説でした。いかがでしたでしょうか?
半分冗談、半分本気です。